ウラバンナ(白秋紀)
柊は白薔薇の本数の花言葉を呟くように言った。柊と最初に会ったのは中学校の部活であり、まさに私の一目惚れだった。
「二本になれば“お互いの愛”になるそうよ……」
一方的な愛であれば成就することもなく儚く消えていくが、池澤捷一は二人の愛が寄り合うことを願って、この盆に仲立ちを計画したのであろう……。
「池澤さんの葬儀の後に藤城さんから今日の話しを聞いて、ふと三十七年前の盆の入りを思い出したのです。あなたの家の離れ家で再会した日ですが……。その日の六曜を調べてみたら“友引”になっていたので驚きました……」
喜ふじのママがこのことを知っていれば、友引説をもっと得意げに主唱しただろうし、柊との関係も厳しく追及されたに違いなかった。
「三十七年前の盆の入りや今日が友引だということも単なる偶然でしょうか?
わたしは池澤さんが昔のことも調べられて、盆の入りの今日を敢えて仲立ちの日に選ばれたのだと思いました。池澤さんの初盆にあなたが帰省することはある程度予測できたことですし……」
藤城先輩の強引な主唱よりも、柊のさり気ない観察に説得力があった。
柊との青春期はすれ違いばかりで、お互いを理解し合う機会に恵まれなかった。それでも運命の女神は数奇な再会を三度までも演出してくれていた。
池澤捷一は二人の揺らいだ人生を垣間見ながら、手紙の重大さをひしひしと感じていたに違いなかった。だからこそ、自分の初盆に二人を引き合わせて、再出発をさせようとしていたのであろう……。
彼は父親の県会議員の世襲を拒否したが、田舎の暗い因習に辟易していたことと関係があったのかも知れなかった。
だからこそ、旧家の次男と冬を結婚させることによって、田舎の無意味な出自の言い伝えに率先して終止符を打とうとしたのであろう……。
「この手紙に関わらず、上京した時に柊さんとの約束を反故にした責任は免れません。今でも申しわけなく思っています……」
今でも悔悛の念にかられていたが、入社時に大企業の従業員制度の壁に突き当たって恋どころではなかったことも事実である。
「高校の時だって、私の家にレコードを聴きに来る約束も破ったし、駅で会っても目を反らして冷たい態度だったわ。私が上京する時だって見送りに来なかったし、駅のホームであなたを捜したわよ……。そういうあなたに不安を抱きながらも東京で待っていたのです。手紙のことだって、池澤さんが見かねて考えられたのだと思います」
盆の偶然の出会いから、憧れのカトレヤが手の届くところまで降りてきたにもかかわらず、結果的には私の方がカトレヤに怖気ついていた。
「今、お付き合いをされている方がおられます?」
柊は池澤捷一から矢納孝夫の私生活は粒さに聞かされていたが、念のために直接彼の身辺を確認していた。
「結婚といっても同居したのは一年でしたから、もう二十年以上男ヤモメです。
独りになってからは参宮橋のマンションに住んでいますが、もう女性は懲り懲りですよ……」
柊は小封筒の入った袋をテーブルの上に出して、四つのヤマに小分けした。
「この中には長年育ててきた朝顔の種が入っています。この二つはあなたが高校を卒業するまでの実です、この四つは横浜で再会するまでの実、この五つは日本橋、残りの袋は昨年までの朝顔の実です」
柊は二十七年間の朝顔の実をこれ見よがしに並べたが、これからは待つ身を卒業させて欲しいと溢した。
田舎を離れて東京、横浜や北九州にいた時も、そして実家に戻ってからも夏越しの度に採種していた。その度に、逢える当てのない面影を追いながら子育てをしていた。
「秋津先輩、この種を持って私と東京に行きませんか? 私も同じ年数の種を保存しているので、ブレンドして一つの鉢で咲かせませんか?」
この言葉をずっと待ち続けていたが、素直には男の言葉を受け入れることはできなかった。
「…………」
柊は押し黙って、朝顔の種を袋に戻していた。言の葉を信じている者はいつか現実に裏切られるという揺らぎがあった。
「やはり駄目ですか?」
「もぉ、何回言ったら分かるの! 年齢は一ケ月も違わないでしょう! 同年生まれなのに先輩って言うな! 年上扱いをしないでよ」
三十七年間それぞれの道を歩いてきたが、柊は初めて男の胸の中で泣いていた。
「よろしければ、これから冬に会ってやってください……。あの子はあなたが父親だと気づいて待っているはずです……」
柊はヘーゼルの瞳からアクアマリンの涙をこぼしながら冬に電話をした。
三十八回目の盆の入り
暫くすると、冬がやってきた。
「やはり、矢納さんはお父さんだったのね……。先ほど渡辺の叔母様から何もかも聞きました……。池澤の小父様が亡くなる前に、お父さんに盆に会えるって言われたけど……、本当だったのね」
冬は先程とはうって変わって、神妙な顔をして矢納孝夫に照れくさそうにして頭を下げた。
「お母さんが最近一段と綺麗になられたので、きっと想い人が現れたのだと思いました。だって、急に母親卒業とか冷たいことを言うし……。やはり、柊さんは矢納さんを思い続けていたのね。これで私も安心して捷介と結婚できるわ」
冬は池澤捷一の遺言により彼の次男との婚約を終えたばかりであった。
「冬、誤解しないで、矢納さんがお母さんに告白したの。これからは朝顔の弦のように二人で矢納さんに絡んでやりましょう……」
柊は感無量の面持ちで冬の肩を抱いており、これで子育ては卒業だと噛みしめていた。
曼殊沙華の運命に翻弄された半世紀も、これからは葉と花が一緒に揃う普通の人生行路が待っていた。
「あっ、そうだ、これでバージンロードもお父さんと歩ける……」
冬が私の右腕を握り締めた感触が柊とよく似ていた。今の冬は日本橋で別れた時の柊の年齢と丁度同じだった。
親子三人で矢納の家に帰ると、母が待ち詫びたように玄関先で上機嫌で迎えてくれた。柊が盆前に浴衣の縫い方を習いに母を訪ねた時に、冬のことは何もかも母に打ち明けていた。そういえば帰省して母がやけにご機嫌だったのは、無愛想な息子よりも孫娘の方だったに違いなかった。
先ほどの古びたモノクロ写真は三十七年前にこの庭で渡辺夫人に撮ってもらったものだった。その背景に同じ朝顔の花が写っていた。
「あっ! これ、おかあさんの朝顔と同じ色だわ……。二人はここで出会ったのか、あの写真もここで撮ったのね……」
今は裏庭も狭くなって離れ家も解体されていた。昔ながらの壊れかけた長椅子だけがポツンとあった。そこで母が紫の朝顔を今年も咲かせていたが、冬はそれを敏感に感じとっていた。
母が用意した線香花火にダンヒルのライターで火を点けると、真っ赤な火球からチリッ、チリッと三十七年前と同じ幾何学模様の花が咲いた。今度こそは火球は最後まで咲き続けた。
平成の田舎は相変わらず緩やかな時を刻んでいた。冬は“おばあちゃんの歯は私が診て上げる”と約束していた。
「その写真と同じ位置で、同じように腕を組んで並んで……」
冬は携帯のカメラで、同じアングルで家族写真を撮っていた。
作品名:ウラバンナ(白秋紀) 作家名:田中よしみ