小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

ウラバンナ(白秋紀)

INDEX|3ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

「ほら、冬さんは柊さんにそっくりだろう? 私が見間違えるはずだよ」
「この頃のお母さんは恋人というよりも、矢納さんのお姉さんという感じだね。私には厳しかったけど、柊さんは早熟だったのね……」
この時、柊は年上に見られるのを嫌がっていた。
先ほどから、冬が自分の子供だと認定する決定的なものはみつからなかった。
「あなたは家に帰ってお祖母ちゃんと留守番してくれない。今晩は渡辺の叔母様たちもいらっしゃるはずよ。お母さんは矢納さんともう少し話があるので……」
柊は冬の気持ちを十分に分かっていたが、その前に矢納孝夫とキチンと話しをつけておく必要があった。
「分かりました、邪魔者は消えます。でも矢納さん、冬に黙って東京に帰ったりしないでくださいね……。冬だって話したいことが沢山ありますので……」
今日の盆の入りに向けて、柊が日に日に母親の気配を消して女の雰囲気を漂わせていたのを娘は敏感に感じ取っていた。
この二十七年間、子育てをしながら彼を待ち続けていた母の気持ちを察して冬は素直に帰って行った。


池澤捷一の贖罪
 冬が出て行くと、柊のヘーゼルの瞳は張り詰めた感情を抑えることができなかった。二十七年前にホテルを出て北九州に向かう列車で涙を流したが、今は感涙にむせぶ思いだった。
義兄が経営する北九州の歯科医院の事務受付で働き始めたが、新しい生活を始めた矢先に妊娠していることに気付いた。
日本橋のホテルで女として大切にしていたものを矢納孝夫に捧げたが、柊は破瓜の痛みの中で新しい命を授かることを願っていた。
その悲願が叶った時も、彼には知らせずにシングルマザーとしての道を選択していた。それには深い理由があったが、姉の渡辺由美子は何もかもをのみ込んだ上で柊を支えてくれた。

 義兄の助言で歯科衛生士の資格をとることに挑戦した。、昼間働いて育児をしながらの夜学は体力的にも精神的にも過負荷になった。それを乗り越えることができたのは、卓球で鍛えた基礎体力と、シングルマザーとしての信念だった。
冬が小学校に入学する年に、両親の意向で実家に戻った。その頃には柊も歯科衛生士の資格を取得して経験を積んでいた。親には頼らずに、池澤捷一の尽力で実家近くの歯科医院で働きながら冬を育てた。
娘の冬が実の父親に会いたがっていたことは分かっていたが、結婚を控えた娘にいつまでも出生の秘密を隠すことはできなかった。今回、冬の父親に会わせてやれば母親としての役目はこれで一区切りできると思っていた。

「ここのママが言うように、私は池澤の魂に導かれて帰省したのかもしれません……。カンテラの女将も柊さんに会うように進めてくれたのですが、二十年振りに思い切って帰省してよかった……」
柊のヘーゼルの瞳は、湖面にささ波が立ったように揺れていた。
「あの女将さんのことはよく覚えています……。藤城さんから今日のお話があった時には驚きました……。池澤さんも亡くなりあなたには逢えないものと思っていましたから……」
柊の浴衣姿は三十七年前の盆を彷彿させた。あの日から回り道をしてきたことをしみじみ思った。秋津柊がいたからこそ青春時代は刺激的だったし悩み苦しんでもきた。今、白秋の年代を迎えて柊と三度目の再会を果たしたが、もう逡巡する理由はなかった。
「正月明けの電話で、池澤から是非会わせたい人がいるって言われていたのです……。彼が亡くなったので、それが誰だか分からなかったのですが、今やっとその人物が柊さんのことだと気付きました……」
カンテラの女将から柊の噂話を聴いて確かめる気になったが、故郷では池澤捷一や藤城喜子がそのお膳立てをしてくれていた。
「あの時のライターでしょう……、大事に使ってくれていたのね……」
柊は使い込んだダンヒルのライターを手に取って懐かしそうに鳴らしていた。

「わたしが高校を卒業して上京する前日に池澤さんが家を訪ねて来られて、あなたとの一年後の再会を忘れないで欲しいと念を押されました……」
池澤捷一からは何も聞かなかったが、彼なりに私の気持ちを忖度しての言動だったのであろう……。
「その時に、私の気持ちを手紙にすれば、池澤さんが一端預かって一年後にあなたに渡してくれると言われたのです。それで、手紙を池澤さんに託けて上京したのです……」
手紙には連絡先を詳細に記載していただけに、約束の一年後に私から連絡がなかった時は落ち込んだと述懐した。大学を卒業して吉川弘文と結婚(実際は同居)した直後に私と横浜で再会して、手紙が渡っていないことを知ったという。
「それで、横浜で再会した時に、私に手紙のことを何度も訊かれたのですね……」
その時の柊の驚き慌てた様子をよく覚えていた。
「ええ、手紙があなたに渡っているものと思っていましたので……。でも吉川と結婚した直後でしたので、手紙の行方は池澤さんにも訊ねませんでした……」
私と横浜で再会したものの、吉川と結婚したとばかりに思っていた柊は、私への気持ちを封印するしかなかったという。
「そういう経緯があったのですね。私は池澤に代理告白を頼んだこともありませんし、手紙のことも全く知りませんでした」
私に無断で、池澤捷一が恋の橋渡しをしていたことを初めて知った。

「だけど、池澤はその手紙をどうしたのでしょうね……」
柊はバッグから古びた封筒をとり出した。
「えっ! その手紙がどうして柊さんの手元にあるのですか?」
手紙は池澤捷一の判断で亡くなる直前まで彼の手元に保管されていたという。
彼は死の直前に柊を病床に呼んで、手紙を渡さなかったことを詫びるとともに、三十七年間封印したままの手紙を返してくれたという。
「その時に、私に手紙を渡さなかった理由を訊かれましたか?」
池澤捷一が手紙を渡さずに長年手元に置いていたのは、彼なりの思いがあってのことだと思った。
「ええ……、あなたが家庭の事情で大学進学を断念されたことも、それが理由でわたしから去ろうとしていたことも池澤さんは気づいておられました……。だから、一年後の私との再会を確かなものにしようとされたのだと思います」
「そうなら尚更、私に手紙を渡さなかったことが理解できませんが……」
私は三十七年間池澤捷一の手元で眠っていた“矢納孝夫様”と書かれた古びた封筒を眺めていた。
「池澤さんの独断で仲立ちしたことが、あなたの人生を左右すると思うと、どうしても手紙を渡せなかったと言われました……。その後、あなたと私が結婚に躓いたのをみて、今度は手紙を渡さなかったことを後悔されて……、人知れず苦しまれたそうです……」
池澤捷一は旧家の当主として何不自由のない人生が約束されていた。その彼が私を慮ったばかりに、一通の手紙によって死ぬ間際まで苦悩していたかと思うとやりきれない思いであった。

「わたしが手紙を預けたばっかりに池澤さんの人生に影を落としたかと思うと……。“手紙のことは過ぎたことなので忘れてください”と、枕元で申し上げたら涙を流されていました。考えてみれば、その時の池澤さんはまだ高三でしたので、その後もこの手紙がずっと重荷になったのだと思います……」