小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

ウラバンナ(白秋紀)

INDEX|2ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

冬に言われてみて気付いたが、柊は盆踊りの夜に指輪をつけた時から婚約のつもりだったのかもしれなかった。
「お母さんは中学時代から男子の憧れのカトレヤでしたから……。婚約だなんて思うわけがありません」
柊が女の色香を感じさせたのは、盆踊りと日本橋の時だけであった。
「えっ、一度も! 柊さんと親密な交際をした時期はなかったのですか?」
冬は中学生の頃に、死期を悟った吉川弘文から、吉川は戸籍上の父であって、実の父親が別にいることを聞かされていた。実の父親が誰であるかは吉川も知らないとのことだった。
冬は自分の出生には深い事情があると思っていたが、母親が明かさない以上は直接訊くことはできなかった。

 近所の池澤捷一は祖父母の家に引っ越して以来、父親のように何かと親身になってくれた。冬の誕生日には欠かさずにプレゼントをくれたし、地元の中央病院への就職も少なからず彼のお陰があった。
池澤捷一には冬と同世代の子息が二人いたが娘はいなかった。そのために何かと冬を食事に誘ってくれたし、父親参観日には代役を買って出てくれた。片親の冬を慮って、池澤家の子供と同等に兄弟の様に大切にされてきた。
だから冬も寂しく思ったことはなかったが、中学になった頃から本当の父親を知りたい思いに駆られていた。
いつしか身近な存在の池澤捷一を父親と勘繰ったこともあった。父親のことを母親に確かめなかったのは、子供心に母親が悲しむような気がしたからである。

 冬が歯科医として勤務している中央病院に池澤捷一が今年の春に再入院してきた。それからは昼休みや帰り際に見舞って世話を焼いていたが、その時に、実の父親のことを遠回しに訊いたことがあった。
「私が父親だったら、冬ちゃんはこんな美人には産まれないよ。今年の盆にはお父さんに会えると思うので楽しみにしていなさい……。だけど、この話はお母さんには暫く内緒にしていてくれないかな……」
確かに、池澤捷一は縄文人のように顔が四角で眉の太い精悍な顔つきだった。冬とは顔立ちも違っていたが、彼が実の父親と親しい間柄であることは推察できた。
その父親代わりとも言える池澤捷一が六月に亡くなって、実の父親を辿る手立てまで失って二重の悲しみの中にいた。

 冬は池澤捷一の言い遺した盆を待つしかなかったが、柊は葬儀が終わると人が変わったように母親卒業を宣言していた。
「冬はもう大人だから、そろそろ自立しなさい。これからは、お母さんも子離れして、自分のために生きていきます……」
最近の柊は冬が羨むほどに品のある色香を漂わせるようになっていた。冬は母を見ていて好きな人ができたのだと思った。年齢的にも母が新しい人生に踏み出す最後の節目だった。一人で育ててくれた母親に幸せになって欲しかったが、その一方で寂しくもあった。
もし、母親に想い人がいるのであれば、その相手が母親に相応しい人物かを自分の目で確かめておきたかったのである。

 病院の納涼会で“喜ふじ”に行った時に、ママから東京在住の人物が盆に帰省することを聞いていた。冬は池澤捷一が “盆に父に会える”と言い遺したことと重ね合わせていた。最近になって母親が子離れを宣言してお洒落を始めたのも、その男のためだと推理していた。
昨晩、母親から矢納孝夫なる人物が今日の友引の日に帰省することを訊き出したが、冬は六曜の非科学的なことに胸を躍らす母が心配であった。
冬は盆の入り日の十六時から、喫茶ピープルの窓際に陣取って眼下のスナックを見張っていた。間もなくすると、濃紺のスーツ姿の人物が喜ふじに入って行くのが見えたが、盆の間は店休日のはずだった。
小一時間もすると、ママの藤城喜子が店から出て行ったので、冬は少し間を置いてから喜ふじに顔を出していた。
矢納孝夫こそが、池澤捷一の言い遺した実の父親だと確信していた。この人なら、母を幸せにしてくれそうだと思ったし、冬も好きになれそうな気がした。


二十七年振りの再会
 スナックのドアをノックする音がした。
「冬いるの? ドアを開けてくれない?」
聞き覚えのある秋津柊の声だったが、冬は顔だけではなく声質までも柊に似ていた。
「いけない! ドアをロックしたままだった。本物の柊さんが来たので似非柊さんのことは内緒にしてくださいね、怒られるから……」
冬と同じ生地の浴衣を着た婦人が現れた。二人を見ていると、現在が過去に瞬間移動したような不思議な感覚に襲われた。
二人の生地は三十七年前の盆踊りの時に柊が着た浴衣の柄模様と似ていた。二人は身長も色白の肌も似ていたが、何よりも切れ長の目とヘーゼルの瞳がコピーしたように瓜二つであった。
だが、こうして見比べてみれば、あのカトレヤといえども老化という生物の摂理から逃れることはできなかったようである。

「矢納さん、お懐かしゅうございます……。こうしてお会いできる日がくるとは夢のようです……。この子は娘の冬です……」
冬の肩を抱きながら、柊はヘーゼルの瞳を潤ませていた。
「お母さん、どうしたの、矢納さんに会えたのだから涙はおかしくない?」
気丈な母しか知らない冬は、初めて聞く母親の涙声に戸惑いをみせていた。
「感無量で胸が一杯です。やはり柊さんは永遠に気品のあるカトレヤです……」
五十路の私は会いたい人に会えた幸せを噛みしめていた。柊の瞳からは堪らずに涙が零れ出て頬を濡らしていた。
「まぁ、見え透いたお世辞まで言われるようになったのですね。あなたこそ渋い紳士になられて……、それにしてもお元気で何よりでした……」
柊は白薔薇の前で安堵の声を洩らしたが、それは早世した池澤捷一を思っての感慨だった。
「先ほどまで冬さんが麦藁帽をかぶっていたので、私はてっきり柊さんだと騙されて、昭和に紛れ込んだ気分でしたが……」
「もう、矢納さん、そのことはお母さんに言わない約束でしょう! それにしてもリングが左の薬指だったとは意外だったわ……」
冬はこの日のために昨夜何度も予習をしていたので、肝心のリングの指の位置までは頭が回らなかった。
「もうこの娘ったら……、それであなたは昨晩、昔のことを根掘り葉掘り訊いていたのね……。それに宝石箱からリングまで持ち出して……」
柊は母親の柔らかい眼差しになっていたが、冬はこの母親の愛を二十七年間全身で受け止めて大人になっていた。
「お母さんのアルバムに矢納さんの写真が一枚もなかったけど、どうしてなの?」
冬は矢納孝夫の人物を知るために、母の古いアルバムまでチェックしていた。
「確か一枚だけあったのだけど、探しても見つからなかったのよ」
三十七年前の盆に、浴衣姿で二人が並んだところを渡辺夫人に撮ってもらっていたが、柊はそれを紛失していた。
「これですか?」
私は渡辺夫人から貴重なツーショット写真をもらっていたので、いつも定期入れに持ち歩いていた。
「あっ、それです……」
柊も驚いたようにセピア色の写真に見入っていた。
「モノクロ写真って、昭和の高校生ですね……、二人とも若くて素敵。お母さんは浴衣姿で大人って感じ……。矢納さんの腕を両手で掴んで笑っているけど、矢納さんは何か嫌がっていません?」
その時、私は初恋人に初めて腕を組まれて照れていたのである。