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少年と風

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工場の中は、蒸し暑い空気で充満しています。ナシュは、ぎらりとしたつるはしを大きく振りかぶりました。そのまま打ち下ろすと、足元の黒い塊は粉々に砕けてしまいました。彼はその中から一つ、大きな破片を取り出して、掌にのせました。それはまだ温かく、重々しく光っていました。
 彼はその破片を眺めていましたが、しばらくするとやすりを手にしてそれを削り始めました。破片はだんだんと滑らかになり、やがて小さな球になりました。ナシュの額にはいくつもの汗の粒が光っていました。彼はそれを手の甲で拭うと、右横に目をやりました。隣の人も、その隣の人も、やっぱり破片を削っていました。

 「これはだめだ。にっちもさっちもいかねえ。」
ナシュが差し出した球を見て、髭をたっぷりと蓄えた職人頭はぶっきらぼうに言いました。
彼が球を地面に放り出すと、それは小さな音を立てて崩れてしまいました。ナシュは、ありがとうございました、と言って、職人頭にお辞儀をしました。そして、崩れた球を拾い集めて、また元の作業場に戻っていきました。

 工場での仕事が終わると、ナシュは勢いよく町を通り抜けて、家に向かいました。風が強く吹いて、ナシュの背中を押しました。彼はそれに応えるように、早足で歩いていきました。
 大きな声をあげながら駆けていく子供たちが通り過ぎていきました。小さなこの町には、街灯もありません。日が沈みかかっていて、地面に描き出された影がどんどんと大きくなっていきます。ナシュは口笛を吹きながら、寂しい気持ちになりました。

 家の戸を開けようとしたとき、ナシュは、おや、と思いました。隙間から薄い明かりが漏れていたのです。まだ誰も帰ってきていないはずなので、泥棒でも入ったのだろうか、と彼は考えました。心臓が、大きく唸り始めました。彼は表に置いてあった木の棒を手にして、ゆっくりと扉を開けました。
 家の中を覗くと、そこにいたのはお姉さんのサシャでした。彼女は、腕組みをしてナシュのことをじっと睨みつけていました。
「だって、僕、姉さんが先に帰っていると思わなかったんだ。」
サシャは唇を傾けながら、言いました。
「ナシュ、お前は工場で働いたんだね。」
ナシュは小さく怯えながら、うん、と言いました。
「あれほど言ったじゃないか。お前はまだ小さな子供なんだから、働く必要はないんだ。私はお前を学校にやるために、働いているというのに。」
 ナシュは俯いたまま、何も言えなくなってしまいました。風が吹いて、窓ががたがたと揺れました。サシャは溜息をついて、彼の顔を覗き込みました。
「気持ちはわかるよ。けれどもね、私の気持ちだって考えてほしいんだ。父さんや母さんが亡くなってから、お前を立派な人間に育てるために私は精一杯頑張ってきた。だから、ナシュ、お前には働くんじゃなくて、学校に行って勉強をしてほしいんだ。」
 ナシュはやっぱり何も言えませんでした。拳が震えるのが分かりました。それはこみ上げてくる怒りのせいでも、どうにもならない苦しみのせいでもありませんでした。
 その時、ものすごい音がして、ガラス片があたりに飛び散りました。強い風のせいで、窓が外れてしまったのです。
 「姉さん、お嫁に行くって本当なの?」
慌ててガラスを片付けるサシャの背中に、ナシュは問いかけました。彼女は、はっと振り返って、ナシュの顔を見つめました。
「工場で聞いたんだ。グレス家のお兄さんと結婚することになったって。」
グレス家は、町で一番のお金持ちでした。その長男はでっぷりとした腹で、毎日遊び暮らしていました。そして、町ではたいそうな嫌われ者でした。そんな彼が、サシャに一目惚れして、結婚を申し込んできたと聞いたのです。
 サシャは、ぎょっとしたような顔をして、言葉を失っていました。ナシュは拳に力を入れました。
「僕、姉さんにそんなところに言ってほしくない。いくら貧乏だって、姉さんと一緒にいられるなら幸せだ。お願いだよ、そんな結婚しないでよ。」
ナシュは半べそで言いました。サシャはしばらく茫然としていましたが、やがて彼を抱きしめました。
「ごめんね、ナシュ。ごめんね。」
サシャは、目に涙を浮かべながら謝り続けました。ナシュも息を殺して、泣き続けました。
作品名:少年と風 作家名:阿尾鷹光