月と滴
私もそうなのかもしれない。雨が降っている。水滴が地面に叩きつけられる音、水が流れていく音、不規則な落下音。私は目を閉じて、それらに思いを馳せる。そして、自分という存在が崩れていく音を見つける。
古びた校舎の壁は、水で濡れている。私の制服も冷たく濡れている。重い布地が肌に触れて、快い感覚が伝わってくる。私は頬を紅潮させながら、空を仰ぐ。あいにく、月は出ていない。
二十分後に彼は現れる。淡いピンクのワイシャツ。グレーのスラックス。分厚い丸眼鏡。年相応の白髪頭。彼もまた、傘を差していない。
彼は黙って、歩き出す。待たせたな、の一言もない。私も、黙って彼の後に従う。
二人の間を埋める沈黙が、辛うじて私たちを繋ぎとめている。途中で、私は何度か口を開こうとする。けれども、考え直して口を噤む。
しばらく歩くと、学校内の駐車場に止められた軽自動車が目に入る。シルバーの塗装は、水滴に紛れて息を潜めている。彼は黙ってポケットからキーを取り出す。不相応な音とともに、施錠が解除される。
四畳半の天井にぶら下がった電灯が、湿っぽく俯いている。敷布団には、うっすらと汗染みが見て取れる。
彼と私は、何も言わずに対峙している。彼の目が、この状況の異常性を物語っている。けれども、同時にそこには焦燥に似た何かが横たわっている。
床に素早く衣服が落ちていく。それらは、大仰な音を立てながら着地する。彼はその一つ一つを確かめるみたいに、眺めている。私はその目が捉えているのが、私でないことに失望する。無造作に着ているものを脱いでいくにしたがって、私の心は殻に包まれていく。
彼は、私の腰に手を回す。何度かキスをする。そこにはどんな意味も存在していない。ただ、起こるべくして起こったことだった。
愛撫をする。キスをする。そんなことを繰り返しているうちに、彼も裸になっている。分厚い胸が、ゆっくりと上下している。私は彼の胸に手を当てて、その命の震えを感じようとする。
彼は何も言わずに、私の手を押しのける。そして、さっきよりは幾分激しい愛撫をする。それはまるで規則的に振動するメトロノームみたいだ。ざらりとした舌の感触を首筋に感じる。彼の脂臭い吐息が、私の心を抉る。
カーテンの隙間から、滴に装飾された月の光が差し込んでいる。彼はその光を背に、煙草をふかしている。私が何度か咳込むけれども、彼は気にせずに吸い続ける。
彼はやがて、立ち上がって散らばった衣服を拾い集める。申し訳なさそうな横顔を目にして、私はこらえきれなくなる。
「先生、私は怖いんです。」
薄闇の中で、彼は振り返る。その顔に浮かんでいるのは、驚きではない。彼にもわかっている。どうにもならないことが。
「自分の心が。あなたの冷たさが。過ぎ行く月日が。何もかも。」
彼はただ黙って、私を見つめる。そして、何度か小さく首を振る。
「もう暗いから、これで早く帰りなさい。」
そう言って、彼が私に握らせた千円札は少し湿っていた。