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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(朱夏紀ー2)

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「今の時代は焼酎の水割りは普通だけど、家計と健康のために少しだけ薄めたことがあってね、初めの頃はお父さんも気づかなかったの……、それをいいことに段々薄くしていったら気づかれたことがあったの……」
母は昔を懐かしんでいたが、私は酒飲みの父は好きではなかった。母は苦労した割にはそういう父を悪く言ったことは一度もなかった。

墓参が終わると、池澤捷一の初盆の法要に出かけた。
旧家の威容を誇った重厚な長屋門や茅葺きの主屋は取り壊されて洒落た現代風の建物が建っていた。その外観は池澤家の当主が池澤捷一から子息に交代したことを告げていた。
霊前へのお参りが終わると、御母堂が寄って来て手を握った。死ぬ間際に“孝夫にくれぐれもよろしく伝えてくれ”と捷一が言い遺したことを涙ながらに話してくれた。二年前に夫が亡くなり、この度最愛の息子に先立たれた母親の憔悴は隠しようもなかった。
池澤捷一の遺影を見ながら正月明けの最後の電話を思い出していた。彼が会わせたいと言った人物が誰なのか、柊や手紙の行方も依然として不明だった。

池澤家からの帰り道に、高校時代のように秋津家の前を迂回した。庭先に人影はなく、駐車場には白いベンツが一台停まっていた。
奥の方から懐かしい洋楽の“アフリカの星のボレロ”が聴こえてきたので、柊が実家にいるような予感がした。
ピープルのマスターが言うように、柊の娘が吉川弘文の子供であるはずがなかったが、そこには深い事情があるように思えた。
私はその真偽を糾すために、秋津家を素通りして駅前のスナック“喜ふじ”に向かった。喜ふじの藤城喜子は卓球部で秋津柊とペアを組んだ仲であり、柊の消息を知っているはずであった。


スナック喜ふじ
「こんにちは、ご無沙汰しています。矢納ですが……」
夕方からママがもの憂げにカウンターでビールを飲んでいた。
「いらっしゃい、まぁ、すっかりロマンスグレーになって貫禄も出て……」
ママの隣の席には白い薔薇が二本、細長い花瓶に活けてあり、その前に生ビールと小鉢が供えてあった。 
「ご無沙汰しています。この席は誰かいるのですか?」
ママは小さく首を横に振って、その隣の席に座るように言うとカウンターの中に入って行った。
「矢納さんがお見えになると頃と思って、店を開けて待っていたのよ……」
ママは当然のような顔で私を見ていた。
「えっ? 私が此処に来ることを誰から聞かれました?」
故郷には池澤捷一以外に親しい友人がいなかった。母親だけに帰省を連絡していたので、ママが帰省を知るはずがなかった。
「池澤さんです。矢納さんが盆の入りの夕方に帰って来られるって、そう聞いております」
ママはすっかり肉付きがよくなっていたが、母親の跡を継いで駅前のスナックを経営していた。
「池澤? 先ほど焼香に行ってきたばかりだから騙されませんよ」
確かに正月明けの電話では捷一と帰省の約束をしていた。だが、彼が故人になって同期会が流れた以上は帰省の約束もご破算になっていた。ママは黙ったまま、白い薔薇が置いてある席に向かって言った。
「初盆は故人の初めての里帰りって言うでしょう。池澤さんの霊魂もきっとこの店にお寄りになるはずです……」
ママは池澤捷一が亡くなる数日前の店での出来事を話し始めた。

「池澤さんは昨年末頃から体調を崩されて店にもお見えになりませんでした。それが亡くなる直前の六月一日に病院を抜け出してこの店に来られたのです……」
正月明けの電話で、自分の病気を押し隠して“最後の頼みだ”と言って帰省を迫った捷一の声が思い出された。
「池澤さんは別人のように痩せておられましたが、この席に座られて何故か矢納さんの初恋話をされたのです……」
ママと私の間の席に白薔薇が供えられていたのは、その時に池澤捷一が座った席だった。この席は彼が亡くなってから今日まで喪に服していたという。

「私の初恋話、ですか?」
ママの話しの筋道がよく理解できなかった。
「その相手が秋津柊と言われたので、あの頃の男子は誰も柊に夢中でしたから、今更と思ったのですが……」
「死を目前にした池澤が、私の初恋話をしにわざわざ此処に来たのですか?」
その話のために、命懸けともいえる危険を冒したことが解せなかった。
「池澤さんは、“矢納の初恋が成就しなかったのは自分の責任だ”と、独り言のように述懐しておられました……。当時、柊には誰も片想いで終わっていたので、責任と言われるのも妙な話だと思いましたが……」
秋津柊はカトレヤの愛称で男子生徒の憧れになっていた。彼女の練習を見るために放課後の講堂が騒がしくなるほどの人気者であった。
「確かに私の初恋は秋津先輩でしたが、思春期にありがちなプラトニックなものですよ……。それを池澤が責任を感じるというのもおかしな話ですが……」
ママは捷一の話しを訝りながらも、何か事情があると思って辛抱強く話を聞いたという。
「その時に、今年の盆の十三日に矢納さんが帰って来られると言われたのです。
その時は柊に引き会わせるように、私に仲立ちを依頼されたのです……」
ママは彼を早く病院帰らせるために、妙な役割を敢えて引き受けたという。
私は二十年も帰省していなかったし、秋津柊は親元で子育てに懸命な日々を送っていた。どう考えても盆の十三日に仲立ちをするような事態になるとは思えずに、
ママも困ったそうである。


池澤捷一の遺言
「この三十年近く秋津さんとは音信不通です……。だから、池澤が何を考えてママに仲立ちを依頼したのか、私には皆目見当がつきませんが……」
私には秋津柊の子どもの父親を糾す重大事があり、仲立ち話しに付き合っている時間はなかった。
「三十年? じゃあ、柊とは東京で会ったことがあるのね」
ママは元々、私を秋津柊の交際相手として認めていなかった。私の言葉尻を捉えて柊との関係を追及してきた。
「二十歳過ぎの頃、横浜で偶然会いましたが……、でもその時は既に結婚しておられました……」
ママに深追いをされないように、差支えのない範囲で質問に答えた。ママにしても仲立ちをするからには二人の関係を掌握しておきたいようであった。

「矢納さんはその頃横浜におられたのね……。柊は結婚して横浜に移ったから……、そうだったの。でも、高校時代に付き合いがなかったの……。隣町への通学電車が柊と一緒だったでしょう?」
ママは仕事柄、ピープルのマスターのように地元の情報通だった。ママの追及を受けていると、敏腕刑事から取り調べを受ける容疑者のような妙な気分にさせられた。話の辻褄が合わなければ厳しい追及を受ける気がして、慎重に言葉を選んでいた。
「カトレヤと持て囃された秋津先輩が、私なんかを相手にされるわけがないでしょう?」
ママの詮索から逃れるために、柊との交際があり得ないかのように装った。
ママはそれには直ぐに同意したものの、一転して核心に触れるような切り口で迫ってきた。
「横浜に住んでいたのなら、柊が二十八歳の時に、つまり今から二十七年前に離婚したことは知っていたの?」
私はその質問にドキッとさせられた。柊が離婚した時に、彼女とホテルで一夜を共にしていたのである。