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親父のマドンナ

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   さっきテレビで見ました。

 僕は、その時の親父の表情を忘れない。 
 僕を前にして、親父は居住まいを正した。しばらく沈黙を守っていたが、意を決したように、重たく口を開いたのだった。

 「お前の書いた本を貰って、ワシはとても嬉しかったよ。
 でもなぁ、わしは小説のことなんて、全く分からない。何を言っていいかもな。
 そこで、知り合いの人に見てもらったんだ。」
 親父は、その人がどういう人なのか、語り始めた。

 その人はずっと学校の先生をしていた、女性だという。仕事を通じて知り合った。墓石の仕事を請け負ったのかどうか、その辺りは話してくれなかった。
 一人暮らしのその方のお宅へ、父はたまに訪ねて行っていたようである。歳格好は分からない。そう言えば、というか、今思うと、そんな年配の女性のお宅に一回行った覚えもある。微かな思い出ではあるが。
 父にとって教養のある、息子の小説を判断してくれる、そんな人は彼女以外には考えられなかったのだろう。連絡を取って訪ねていき本を頼み、後日感想を聞かせてくれたということだった。

 「こんな、心の綺麗な人は、きっと生きることが大変なんでしょうね。

 私の周りにもこんな人がいたら、私ももう少し楽に生きていけたかも知れませんね。」そう言ってくれた、親父はそう言った。親父の顔は、とても嬉しそうだった。

 書いた人間がどうとかではなく、その人はきっと心の綺麗な人に違いない、僕はそう思った。親父がその人を尊敬していて、その人と過ごす僅かな時間を、とても大切に思っていることを感じた。
 その人の感想は、僕にとってもこれ以上ない賛辞だった。僕はこの10年間が報われたような気がした。しかし、それよりも大きな感情が僕を襲った。

 僕は父と一緒に仕事をして、喧嘩しながらではあったが沢山のサラ金と対応した。サラ金屋さんともいっぱい喧嘩をした。でも40軒近くのサラ金は全て返済して辞めたのだった。
 親父と様々確執はあったが、自分に出来る事は全てやったという自負もあった。でも、何もできていなかったのだ。
 僕は父の嬉しそうな語り口を見て思った。やっと親孝行ができた。やっと親父に喜んでもらえたんだ。

 その人は父にとってのマドンナ、憧れの女性だと思った。僕も似たような性格だから、良くわかる。そんな人に、息子が認めてもらったことが、父にとっても大きな喜びだったと思う。

 父は帰る僕に深々と頭を下げた。ちゃんと一人で生きていけている息子に、彼の持つ最大の敬意を払ってくれた。
 バックミラーに映る彼の姿が少し霞んだ。

 山尾三省さんという詩人が、屋久島に住んでいた。
「お金の為に生きてはいけない」という信念を、命からがら実践されていた方だった。
 鹿児島時代、「食パンの歌」という新聞記事を読み、切り抜いて肌身離さず持っていた。貧乏のどん底の時代だった。同じような考えの人がいる!世界の狭かった僕は、それでも山尾さんの詩が、僕にとっても励みになった。
 何年か経ち、屋久島に友人が住むようになって、やっと僕は山尾さんを尋ねることができた。突然の訪問を彼はとても喜んでくれた。
「そんな昔の記事を持っていてくれたんですか?」山尾さんは僕が持っていた新聞記事の切り抜きをみて、大層喜んでくれた。
 小説が出来、僕は山尾さんをたずねて、読んでもらった。

 後日訪ねてきた僕に、彼は言った。
「主人公の女性の笑顔が目に浮かびますね。」
 それから山尾さんが色々と褒めてくれた。とても心地よい感想を聞きながら、舞い上がった僕は何も覚えていない。喜びのあまり、有頂天になっていたのだ。
 山尾さんの家を辞してから、僕はずっとニタニタしていたと思う。人生最高の瞬間の一つだった。

 19歳で着想を得てからの29で完成するまで、この書くということがなければ、生けていけないと思えるような人生だった。それは僕にとってだが。
 山尾さんの言葉。
「角さんにとって、書くということは大切な事だったんですね。」
 僕には才能が無いので、小説はこれ一本で満足したが、父、父のマドンナ、そして山尾さんの言葉で、僕の借金苦の10年はとても満たされたものになったのだった。
 
 山尾三省さん 食パンの歌 で探してみてください。

作品名:親父のマドンナ 作家名:こあみ