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霞んだ電灯

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かの、渡辺は、北町殿の作品を耽溺してしまったが故、その大幸運中の小不幸として、他の作品群なぞ目にもつけずに、平日昼間から図書館へと赴いて徐に彼の本を散策していた。で、不図、北町殿が信愛する藤澤清造の本がないかと、博捜する。

渡辺がいそいそと支度を勧め、さあいざと靴を履いて行こうとした刹那、祖母が、玄関の灯りを消した。渡辺の宅の玄関は酷く真っ暗で、構造上どうしても光が欲しいところである。その為、昨夜の喧嘩を相まって、渡辺の沈殿していたはずの憤懣たる思いが再度叩き起される形と相成ってしまった。それが、たとい偶然そうなってしまい、一言懺悔の言を述べていたとしても、イヤホンをしていた彼には聞こえず、再度灯りをつけ、靴を履くと、その鉄製の扉を思いっきり叩きつける形で、彼は家を出た。それが発散とした因となったのか、不思議と頭がクリアになっていた。が、しかし、数歩した時にはもう既にやり切れぬ憤懣が彼を拭い隠していた。冷静さと憤懣が両立していた、どうにも不思議な感覚に、どうにかこの気持ちを持ったままだと帰宅時に殺してしまいかねないと、元来の目的である、師と謳っている北町殿の本を返すという、その1つに焦点を向ける。
図書館が5時までであり、家を出たのは、なんだかんだ、怠慢さを極めていた渡辺は、4時半となっていた。歩いて30分程であるからそうしようと準備をしていたが、遅れてしまっては無駄足になりかねないと、幸運にもバスが丁度来る時間であり、バス停に留まった。
そのバスの中で、やはりどうにも拭いきれない憤怒の気持ちが頭上を取り巻いた。

本を返し終えて、家に帰るにもわざわざお金を払ってここまで来たんだし、殊に陰鬱としたあの虚実へ帰るにも、未だ憤懣たる思いが募っていたのもあり、さてどうしたものかと漫ろ歩きに耽っていた。どこかでタバコでも、と思うと、そういや前通っていた喫茶店は今どき珍しく喫煙室がある、と思い出し、どうで帰っても祖母を殺しかねないので、そちらへと足を向けることにした。
その図書館の最寄り駅のひとつ先の駅付近にあるのだが、その、K駅とS駅の間は、電車でも2分というなんとも中途半端極まりない距離感であり、渡辺のみならずその付近の住人は、その間であれば徒歩か自転車か、または第三の選択肢かという程近いものである。で、20分程歩いてその喫茶店へと入ると、徐にメガネを取りだし、カフェラテのアイスを頼み五百円玉を置くと、中年程の、恐らくオーナーの嫁か、近縁者かが、先にカフェラテを作り始める。その間渡辺は、三度クリアーになった視界に感動を僅かに覚え、閑散とした店内を見渡すと、奥に定年を終えたであろう爺の姿を見た。それに特に思うことも無く、むしろその爺の向かいにある喫煙室に目を向け、禁煙社会にある唯一の光に感謝を覚えると、その時分にカフェラテが出来た。
レジの横にある灰皿を持って喫煙室へ入ると、スライド扉の真横の席には既に中年男が座しており、致し方なしに渡辺は最奥の席へと座る。ショルダーを下ろし、タバコと携帯と、カフェラテらが乗っているお盆を机へと置くと、まずはと一服。で、昨夜読破しようとした、北町殿の「棺に跨る」を取ると、それに集中しようとしたのだが、どうにも、ここでまた祖母に対する憤懣と殺意が頭を擡げる。

昨夜、いつものように祖母の子供じみた独り言を躱すように無視すると、オリンピックで野球をやっているのを見る。渡辺はかつて、プロ入りをも約束されたほどの野球少年であったが為、決勝というのも相まって久方ぶりにテレビへと釘付けになる野球少年へと変貌した。しかし、メガネをしているにも関わらず小さい文字が見えぬ渡辺は、祖母に今何回?と訊くと、分かんない、なぞという返答に、頭の悪い低種族めと、折角雲散したはずの苛苛がまた頭を擡げた。祖母は続けて、ヒットってどういうこと? アウトって何? ストライクって何? なぞと、苛苛した渡辺の気なぞ察する由なく、今どき子供ですら知るであろうことをまくし立てる。で、また例によって適当に促すと、お前って教え方下手だよね、と言った。これがいけなかった。
再三説明した事を2日もすると忘れる鶏のほどの脳を持ち合わせる祖母に、渡辺はほとほと疲れ果てており、呆れられる隙をも与えぬ程何度も何度も尋ねる祖母には一切の説明はせぬと、心を決めていたのだ。いや、何も渡辺は説明が下手な訳では無い。今は昔、高校生時には、お前は教師になると周りから期待されるほど教えるということに自信を持っていたのだ。自信と言うよりかは、事実、はな、祖母から携帯の事について訊かれた時は、その説明のうまさに喝采されるなぞと言った塩梅でもあったのだが、祖母の忘れっぽさに、メモを摂るという簡単なことさえ出来ぬ知能の低い彼女に対しては、これは渡辺でなくとも憤懣たる思いが募るであろう。
それが為、この一言が、渡辺の今まで溜まりに溜まっていた憤懣たる思いが、ついぞ爆発した。
「お前自分が分からないくせに人に聞いてその態度?何様だよ」
しかし、内心どこまでも祖母思いにできていた渡辺は、どうにも、祖母に対する知能の低さに追求することは終ぞ出来なかった。図星だと如何に人が暴れ回ることを渡辺は知っていたからだ。
「携帯のこともそうだ。何度同じ話をした。メモを取れと言ってなぜしない。俺が怒るからメモを取れって何度も言ったろ。その癖して翌日には我が物顔で教えを乞うなぞ、そんなの傲慢甚だしい。そりゃこっちだってもの教える気無くすわ」
怒鳴るのをどうにか堪え(壁が薄いため、万が一声が漏れたら渡辺の方が悪者になるのは目に見えて分かっていた。)、扇風機やらお椀を投げ飛ばしたい気持ちに駆られるも、黙々と夕餉をとることに勤しんだ。
作品名:霞んだ電灯 作家名:茂野柿