狐鬼 第二章
22
闇(そ)の門は
漆黒の空間を渦巻いて歪めて 閉まる
然うして 姿を現わす
玄関広場(エントランスホール)の中央に陣取る 両階段を駆け下りてくる
少年を獣姿の白狐は(相も変わらず)行儀良く「お座り」をして待つ
「いらっしゃい」
満面の笑みを浮かべて白狐の目前迄 辿り着く
少年に気取られずに第三眼(みつめ)は思う
此処にきて
事 此処にきて 退行現象
少年の 稚拙な行動が否が応でも目に付く
「影」相手といい
「白狐」相手といい
相当 恋しいのか
其れは吉報なのか
其れは凶報なのか、第三眼自身 分からない
上も下もない 漆黒の屋敷は何処へやら
上も下もある 洋館の佇まいを呈している
此処は
少年に一瞥を投げる 也(なり)
以前の屋敷とは違い「窮屈」という事はなさそうだ
と 頭上の飾電灯(シャンデリア)を仰ぐ 白狐の牙の奥、不穏な音を立て始める
「そう 怒らないで」
溜息交じり目を伏せる 少年に倣(なら)い(?)
第三眼も其の眼を伏せて 笑う
「 彼(あ)の巫女 」
「 死にそうだぜ〜、うけけ 」
少年の舌打ちよりも速やかに 放つ
白狐の眼光に射貫かれるも全く動じない 第三眼が呑気に続ける
「 唯の「巫女」では此処は相当、緊(きつ)いらしい 」
唯の「巫女」
第三眼の言葉に白狐自身、否定も肯定も出来ない
其れでも
一歩、前(左)足を踏み出す
此(こ)れは 威嚇だ
此(こ)れで黙る第三眼ならば少年も然程、苦労はしない
「 お前の所為(せい)だろ? 」
飽くまで第三眼の言い分は ぐう正論で
口調は茶化すでもなく
口調は責めるものでもない
いうなれば 第三眼は少年よりも「神狐」というものを知っている
此奴 等(ら)は連れ添う事はない
此奴 等(ら)は「巫女」という存在に一生 連れ添う事はない
故の端麗さ
故の冷淡さ
神神の眷属(けんぞく)とはいえ
所詮、獣
獣以上の感情 等(など)、存在しない
「 うけ、うけ、うけけ 」
元より「低俗」
分かっていても此の 玄関広場に雨粒のように落ちては響く
第三眼の笑声(しょうせい)に顔を伏せる白狐が牙を搗(か)ち鳴らす
刹那
其(そ)の(前)足爪が
白い 大理石の床を雷(いかずち)の如く 砕(くだ)く
「そう 怒らせないでよ」
至極、不満顔な少年の声を合図に
飾電灯は光彩を失い、洋館の玄関広場は漆黒の闇へと差し変わる
何時しか
上も下もない 漆黒の屋敷
延延、漆黒の廊下
延延、漆黒の窓外を色取る、腰高窓
不図(ふと)、窓枠に凭(もた)れる
少年が白狐に頬笑む
「僕は」
「神狐(おまえ)の命の「珠」が欲しいだけ」
「そして」
「巫女(ひばり)の命の「珠」が欲しいだけ」
斯(こ)うして
話し掛けていても俯いたまま
反応しない白狐の現状に(元凶になった)第三眼を恨めしく思うが
抑(そもそも)、時間がない
「容易(たやす)く」
「此方(こちら)側を覗ける 巫女(ひばり)だけど」
「死太(しぶと)く生きるとは限らないよ」
突如、顔面を上げる
白狐の眼差しは同情を禁じ得ない程、揺らいでいる
だが、少年は肩を竦(すく)めるだけで
以前の(自身の)発言とは真逆の発言に半目になる
第三眼を余所に本懐を口にした
「面倒な事に「珠」には「条件」があるんだよ」
二つの命の珠が
一つになる程、愛し合っている巫女と神狐
「愛し合っている「二人」でないと、意味がないんだよ」
理由 等(など)、分からない
理由 等(など)、ないのかもしれない
或いは
「願い事」の無効 等(など)
「願い事」の白紙撤回 等(など)、ないのかもしれない
其れでも
其の「藁」に(も)縋るしかないのが 心情だ
贋(がせ)だろうが
真(がち)だろうが自分には 此の道しかない
そして
巫女である
神狐である
お前 等(ら)にも言いたい
顔を近付ける
少年が黒目勝ちの、目を見開いて覗き込む
白狐の、翡翠色の眼に
がらんどうのような虚空に吸い込まれそうになる
なる 次(つ)いでに
其の衝動に身を委ねてみるのも一興 とばかり
自分の鼻先を擽(くすぐ)る
ふさふさの白毛を鷲掴みした途端、第三眼がド派手に鼻を鳴らす
如何やら
(鼻はないが)鼻先を擽(くすぐ)られたのは
少年だけではなかったようだ
一瞬、目を剥く 少年が
一旦、保留にしよう♪ と、笑みを浮かべる唇から吐息を吐く
頭の片隅で
「 お前は「狐鬼」として未だ未だ 足りねえよ 」
第三眼のぼやきが聞こえたような が、気にも留めず吐き捨てる
「所詮(どうせ) 死ぬんだよ」
其の通りだ
白狐自身、其の覚悟を持って「闇の門」を潜ったのだ
「一人で死ぬか?」
「一人で死なせるか?、何方(どっち)?」
其(そ)れ程か?
何(ど)れ程か?
「僕、難しい事 言ってる?」
然うして
白狐の背後、少年が差し向ける
延延 漆黒の廊下の先、(漆黒の)扉が輪郭を現わす
「取り敢えず 二人の「愛」を深めてよ」
すずめ 等(など)、認めない
媒体(あるじ)の変更 等(など)、認めない
徐(おもむろ)に振り返える
白狐が 大理石の床に食い込む(前)足爪を引き剥がし 歩き出す
後ろ姿を見送り少年が声援(エール)(?)を送る
「何卒(どうか) 二人で死んでよ( うけけ〜 )」
漆黒の 両開き扉に手を付く
白狐がゆっくりと押し開(あ)けて 息を呑む
上も下もない 漆黒の中
其処だけ
此の部屋だけ
僅かな光が差し込む 箱庭のように存在する
天蓋付きの 寝台に横たわる
少女の其の瞼は微動するも固く閉じられたままだ
寝台脇の、机に置かれた真鍮製の三灯蝋燭
灯る蝋燭の炎がちらちら
少女の横顔を天蓋から垂れる
白磁色の透ける生地越し、仄かに照らす
寝ても
覚めても苦しいのか
覚束(おぼつか)なく
空(くう)を切る腕は「影」の姿を求めて彷徨(さまよ)うも 力尽きる
白い処か
青白い肌膚(はだ)には脂汗が滲(にじ)み、喘鳴(ぜんめい)が止まらない
愈愈(いよいよ)、少女は最後の「時」を受け入れる
忍びない
忍びない
貴方を残して逝くのが 忍びない
許して欲しい
許して欲しい
貴方を残して逝く 自分を許して欲しい
もう 会えない
もう 貴方に会えない
「、み ゃ」
瞬間、止め字を呑み込む 少女の瞼が開(ひら)く
黒紅色の髪同様
黒紅色の目が頭上の天蓋を見詰めたまま
震える手で自らの口(元)を抑える
出してしまった
其の 名前を
為出(しで)かしてしまった
事の 重大さに瞬(まばた)きすら出来ずに涙が溢(あふ)れ溢(こぼ)れる
同時に
一旦、出してしまった「名前」は抑え切れず
嗚咽(おえつ)混じり 指の隙間から溢(あふ) れ溢(こぼ)れる
「、みや狐、」
「、みや狐、」
もう 苦しくない
もう 苦しくはない
傍(かたわ)らに「お座り」をする 白狐が
幼き日の「少女」の姿と重なる 目の前の「少女」に
幼き日の「彼(あ)の時」のように 言い放つ
「巫女たる者、強くなれ」
少女は何度も 何度も頷いて