小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

六人の住人【完結】

INDEX|9ページ/31ページ|

次のページ前のページ
 

8話「私の今」






私の名前は時子。年齢は32歳で、3年前に結婚した。私は、つい一年前までは、「自分は自分だ」と、かすかながらにも思えた。でも、今はそれが大きく揺らいでいる。

一年くらい前から、私は空白の時間と、ほかの人が教えてくれる「覚えのない自分」、というものに惑わされていた。

“変な時間に寝ちゃったなあ”

そう思って時計を見ると、本当にずいぶん時間が経っていたり、同居している夫や、友達から、覚えのない私の行動について聞かされた。

始めに私が思ったのは、「夢遊病ではないか」くらいのことだった。でも、周りから聞かされることを考え直せば、どれもこれも、私ではできないようなことだったり、私の好みに合わない食事だったりした。

“まさかそんなことがあるはずはないけど…”

私は、ある一つの可能性を危惧していた。

過去、私は精神科病棟に入院していた。その時、多重人格の子と出会ったことがあった。その時と状況が良く似ていると思って、私は少し怖くなったのだ。


私の周りの人たちは、大体こんなようなことを言った。

「すごい量を急に食べ出して、びっくりした」

「コーラ好きじゃなかったよね、でもゴクゴク飲んでたから、びっくりしたよ」

「声と顔が全然違う感じで、急にそうなったから、あれ?って思った」

それから、こんなふうにも聴いた。

「僕は時子ではありませんって、言ってたよ」

“そんなこと、あるはずないじゃない!”

私はすっかり動揺してしまって、始めのころは困り果てて泣いたりするばかりだった。


その後で、気づいたことがある。

私が時折とても眠くなって、やむをえず机に顔を伏せたりすることがある。

そして目が覚めると、五時間だの八時間だのと、昼寝ではありえない時間が経っていて、目の前には放置された知らない食器があったり、飲みたくもない飲み物のペットボトルが空になって置いてあったりした。

家に私のほかには誰も居ない日でもそれらは何度も起きて、そのうちにSNSの投稿にまで、自分が投稿した覚えのない写真がアップロードされていたりした。


「どうしたらこれがなくなるんだろう。怖いし、私もう疲れたよ」

そう夫に話した時、夫はこう言った。

「前々からPTSDに悩んでたよね。それで多分、PTSDの一番重い症状として、多重人格があるんじゃないかな。俺、この間いいカウンセリングルームを見つけたんだけど、ちょっと説明を見てくれない?」

私は正直に言うと、もう何も考えたくなかった。だから気が進まなかったけど、結局そのカウンセリングに通うことになった。このまま毎日を過ごしていても、よくなる見込みがないことくらいはわかっていたから。



カウンセラーさんはちっちゃくてかわいい女性の先生で、でもその細い体で一生懸命身振り手振りをまじえて話してくれる、前向きな人だった。そのカウンセリングに行き始めてよかったと、今では思っている。

一度目のカウンセリングで、私は自分の悲惨な半生についてを一通り話した。先生は何かをたまに書きつけていたけど、私に冷たくあたることも、あえて無関心を装うこともなかった。それで私は、少し気持ちが楽になったと思う。

先生は、「緊張を解きほぐして、まずはこのカウンセリングルームを、時子さんにとって安心できる部屋にしましょう」と言って、私はいろいろな体操をしたり、時に泣きながら話をしたりした。その中で、一番印象に残っているのはこの場面だ。


カウンセリングに通い始めて少ししてから、私は自分を虐待していた母をやっぱり恋しく思う気持ちが、少し薄らいできていた。そして浮かび上がってきたのは、「自分は本当に酷い扱いを受けていたのだ」ということだ。

もちろんそれは頭では分かっていたけど、心にそれが響くことは今までなかった。

私の母は、おそらく重度の発達障害を抱えている。もしくは人格障害を持っていたと、過去にまだ母と関わっていた時、彼女の担当医に聞いた。今の私の担当医も、私から聞いた話を参考にすることしかできないけど、同じ意見だ。

実を言うと、私は幼い頃からそのことに気づいていた。

具体的に病名などをずばりと言い当てることはもちろんできなかったけど、“母さんは思いやりを与えるための手段をまるで知ることができない人格に生まれてしまったのかもしれない”と、考えていた時期がある。それほどに私の母親は、温かいコミュニケーションなどについては無頓着だった。

一度母に、「言い方も大事ってこともあるよ?」と、本当に勇気を出して言った。そのあとで怒鳴りつけられるかも、とは思ったけど、それに気づけば彼女も幸福になれると思ったからだ。でも母はすぐにこう返事をした。

「そんなことないわ。正確に伝わりさえすればいいだけよ」


そんな母が、幼少期、そして彼女の学生時代、社会人になってからも、周りから愛されるわけはなかった。そのことで母は世界中を恨んでいると知っていた。

母がいつも喋っていたのは、「みんなが私をのけ者にする、あんな奴ら一生許さない」という、呪いの言葉だったからだ。

コミュニケーションが上手く取れないことで母が受けた学校での苛烈ないじめや、自分の母親から冷遇されたこと。それが母を、子供を愛せない人格にまでしてしまったのではないか。

私は彼女と一緒に暮らしていた頃からそう考え、いくらかの同情で、彼女の目に余る暴力も、半分は許していた。


でも、32歳になってPTSD専門のカウンセリングに通うようになってから、自分の実情を先生から教えてもらって、過去に起きた何が私を混乱に陥れているのかがはっきりと分かり、初めてこう思った。

“私を傷つけたのはお母さんなのに、私を治してやれるのは私だけなんだ。割に合わないじゃない”


そのことを、ある日のカウンセリングでこう言ってみた。

「それにしても、私をこんなふうにしちゃったのはお母さんなのに、治すのは私自身なんて、理不尽な話ですね」

すると先生は私の言葉に驚いて振り向き、急に興奮したように叫んだ。

「そう!これはとても理不尽なことなんです!時子さんが悪かったわけじゃないんですよ!」

私は先生からそんなにするっと理解をしてもらえるとは思わなくて涙が出そうになったけど、その時はなんとか堪えた。でも、滞りなく理解してもらえる環境が、カウンセリングルームに行けばある。そのことは、私に強い勇気を与えてくれた。


“もう少しだけ、もう少しだけ頑張って。そうしたら、嘘なんかつかなくても、「幸せだよ」って言えるかもしれない”


私はまだ、PTSDを放置したせいで合併したうつ状態に苦しめられ続けて、たまに「死にたいな」と思っているし、まだ過去の中に生きているように、母親から追い詰められていた時の緊張や不安が全然抜けていない。でも、“治療に前向きになってみよう”と思えた。

でも、私が眠ると別の人が現れている痕跡を後から見つけるのだけは、まだ凄く怖いけど…。




作品名:六人の住人【完結】 作家名:桐生甘太郎