ドッペルゲンガー(おしゃべりさんのひとり言 その63)
ドッペルゲンガー
ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger)とは、自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象である。第三者が目撃するのも含む。超常現象のひとつとして扱われる。
ゴシック小説作家たちにとって、死や災難の前兆であるドッペルゲンガーは魅力的な題材であり・・・
これを題材に小説を書くと、陳腐な内容になる自信がある。だからやめておこう。で、ひとり言・・・。
娘のドッペルゲンガーが出現した。
嬉しそうに娘がそう話してくる。電車で高校に通っているのだけど、友達からこう言われたそうだ。
「昨日の5時ごろ、Z駅にいた?」
「え? 家と反対方向だよ」
「だよね。電車通過する時、秋日子がホームに立ってるとこ見たんだ」
「あ。そうそう私も見たよ!」
って、他の子もそう言って話に入って来たらしい。
娘がそんなところにいるはずがないんだけど、普段着姿でいたって言われたらしい。
これを聞いて僕はあることを思い出した。
3年位前に、僕が一人でサイクリングに出かけて、100キロくらい走った日のことを。
あの日は秋の行楽日和で、久しぶりに自転車に乗りたくなって出かけたんだ。
定番のサイクリングコースを、1日かけて走りながら、景色を眺める。ただそれだけが目的。
ところがある湖畔を走っている時に、やたら路上駐車が多い。なぜなら、みんな湖畔でBBQしているからなんだ。
でも、その辺りは『バーベキュー禁止』の注意看板も立っているのに。
秋のハイシーズンだから、そんなグループが多くなるのも仕方ないのかな。
僕は休憩しようと、湖畔沿いのベンチに座りたかったけど、どこも空いていない。
仕方なく、松林の木陰に腰を下ろして休んだんだけど、すぐ近くのベンチでは、コンロを囲む家族連れが。
(ルール無視しながら、家族でレクリエーションか。教育上よくないな)とか考えていたと思う。
すると、目の前を娘が通りすぎて行く。服装は娘がいつも着てそうな、割りとシンプルなもの。
一瞬(え?)って思ったけど、僕もさすがに父親として、その子を娘であると誤認はしない。しかし、よく似ている。その子がBBQの輪に合流した。
久しぶりにこのことを思い出したので娘に言うと、僕が話したことがあるのを娘も覚えていたようだ。
「そうだね。確かにその話聞いた」
「あの時、何で秋日子が、こんなとこでバーベキューしてるんだ?って可笑しかった」
「誰とだっけ?」
「全然知らない家族の中に入って」
「キャハハハハハ・・・」
「でもあの時のお父さんお母さん、うちとは全然違う感じだったのになぁ」
あの時のモヤモヤした感覚って解るかな。
娘をそこに連れて来て、ご対面させたくなったもん。
あの子がZ駅に立ってたのかもしれないな。
そしてもう一つ、ドッペル体験を思い出した。
僕が小学校6年の時、中学受験をしたんだけど、少し遠い学校だったので他に誰もその学校を受験する友達がいなかった。
しかも結構な難関校で僕は合格できなかったけど、試験の時の緊張はとてもいい経験だったと思う。
その試験会場の教室で、席について一人落ち着こうと努力していた時、前方の教壇に3~4人のグループがいた。その内の一人と目が合った。
「カッチャボン!?」
勝也君のニックネームだけど、僕は思わずつぶやいてしまった。
普段仲のいいカッチャボンがそこにいる。顔はもとより、背格好、髪型、来ている服まで彼っぽい。
僕は、カッチャボンだと思って、ずっと彼を見ていたけど、彼は僕の視線に気付いても無反応だった。
よくよく考えたら、彼の学力でこの中学を受験するはずないし、塾にさえ通ってなかったはず。それに周囲の友達も全く知らない顔ぶれ。
僕は冷静に“他人の空似”だって自分に言い聞かせた。それでも写真を撮っておきたいほど似ていたんだ。
その話を小学校に戻ってから、カッチャボンにしたら、周りの友達まで「俺も見たことある」とかって話しに乗って来る。
これは話を無理やり合わせてるだろうって分かるけど、みんなこんな話が好きなんだなって思ってた。
僕自身のドッペルゲンガーには遭遇したことがない。
友達からそんなこと言われたこともないけど、逆に誰々に似てるってことはよく言われる。
よくあったのが、
歌手の平井堅さん。それでモノマネまでさせられる。彼の定番「おお~きな、ノッポの、古時計・・・」を歌うフリしながら、「おお~きな、栗のぉ木の下で」って、お遊戯の振付きで歌うとバカうけする。
旧い映画の『ゴースト ニューヨークの幻』の主人公パトリック・スウェイジにも似てるって。
“a-ha”という80年代のポップバンドのヴォーカル モートン・ハルケットにも似てるらしい。
どれも鼻が高くて奥目なだけ。
僕はそれほど堀が深いと言うわけではないけど、最近、オリンピックのバレーを見た友達が、イランチームに僕がいっぱいいたと言って笑ってた。
最近は、中井貴一さんとか、渡辺徹さんをガリガリにしたみたいだなって、自分で思うんだ。
でも僕は自分のそっくりさんがいても、会ってみたいとは思わない。なんか気まずいでしょ。
性格がものすごく悪い人だったら、自分の評価も下がるような気がして。
だから娘のドッペルさんも、ルール守らない家族の中で、どんな生活してるんだろうって、心配になった。
ドッペルゲンガーって言葉には、物々しい感じで、興味をそそられる。
だから余計に、こんな話題に乗っかって、自分も自分もって話に入ってくる人が多いんだろうな。
このテーマは確かに人気だろう。小説にしたくなる気持ちもわかる。
例えば、
登場人物の一方はとても裕福で、もう一方は貧困からの成り上がり。そいつが人生入れ替わろうと企んで・・・
すごく仲が良くなって、こっそり入れ替り生活を楽しむ女子高生たち・・・
または、互いに人生をと辿って行くと、生き別れた双子だったとか・・・
精神病患者の幻覚や妄想の人物・・・
使い古された設定ばかりが思いつく。
僕が書くなら、
外出先で自分の飼い犬が歩いてるのを見付けて、連れて帰ると、家にもその犬がいたってのはどう?
・・・でも僕はやめておこうっと。ホントに陳腐だし。
つづく
作品名:ドッペルゲンガー(おしゃべりさんのひとり言 その63) 作家名:亨利(ヘンリー)