小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

サイコパスナイト 付録

INDEX|1ページ/1ページ|

 
僕がどのようなモノの見方をするか書いておこう。それがないと、僕が事実を書いていると理解されないだろうから。

 まず、例としてデジャビュ。多くの人は超常現象と考えるか、バカバカしい話だと思うだろう。しかし僕は、どちらとも違う。記憶の不思議さを物語るものだと考える。

 僕は何度かデジャビュを感じたことがある。そこには以前行っていないはずなのに、その風景に見覚えがあるのだ。そしてゾワゾワとした感覚に襲われる。そして考えていると、見覚えがある理由に思い当たる。具体的なものを書こう。

 まずは、スペインのオビエド。20年以上前の話だ。ふらりとスペインに一人旅に行って、向こうについてからその街に行くことにした。そこについて駅を出ると、その風景に見覚えがあるのだ。ゾワゾワした感情がこみ上げる。それが気になっていたが、暫く街を歩いていると、ふとした事に気付く。人工地上と言うか、そういう構造になっているのだ。30年以上前の話だが、新宿駅の再開発で、欧州の何処かがモデルになっていた事を思い出す。その件に関して、今いる場所の風景をちょっとみたのではと思ったのだ。

 次に、東横線の妙蓮寺。自転車で駅の近くを通った時、ここ知ってるという思いがゾクゾクとした気持ちと同時に出てきたのだ。以前、僕は東横線沿線に住んでいたが、その場所は電車からは見えない。妙蓮寺には来たことはないと思って暫く考えていると、その20年近く前に一度来た事を思い出す。横浜で飲んだ後、一晩同期の家に泊まったのだ。そいつの家の場所は全く思い出せないが、ある場所を何故か覚えていたのだ。何の変哲もない場所だし、特にこれと言った何かがあったわけじゃない。以前さくっと通っただけの場所はずだ。その後何度かそこを訪れたけど、その後はデジャビュはない。もっと言うと、今ではその場所が何処かよく覚えていないのだ。どこでデジャビュを感じたのかと思ってしまうのだ。

 3つ目は柳井。最初に行ったのは、子供の頃に犬を殺されたという理由で、宅配便業者に扮して厚労省の元次官らを殺傷した事件が起きた頃の話だ。その時のイメージとして、柳井の元になった柳と井戸の場所、そこからちょっそ先にある寺かその近くから眺めた風景、そしてそこに行く時に通る坂。2回めに行った時に、その3つは連続していることを認識したが、僕のイメージでは3つはバラバラだった。3年前の話だ。柳と井戸の風景は、2度めに行った時は僕のイメージに残っているものと全く違った。そして坂の登っていると、ここ知ってるというゾワゾワしたイメージが湧いてきたのだ。正確に言うと、僕に残っていた坂のイメージは、風景ではなかった。なんとなくきつかったなと言うイメージだった。さらに、上からの眺めはどこからだろうと探したが、その場所がわからなかった。

 序に書いておくと、上記の柳井に行った時に、徳山にも寄った。ちょっと図書館を見ておこうと思って。そして街をちょっと歩いていると、以前、電車の時間調整のために何処かの街を歩いた記憶が残っていたが、それが徳山だとわかった。しかし、ゾワゾワした感情はわかなかった。記憶の街は徳山だったかと思っただけだ。

 今年の夏、また柳井に行ってきた。柳と井戸の風景は、なんとなくこんなだったようなという感覚。最初に行った時の上からの眺めのイメージが何処からかは、今回もわからなかった。坂は、こんな坂だっけと思いつつも、覚えがあるような気もする。デジャビュはない。

 他では、京都の貴船と、山形の山寺(立石寺だっけ)にデジャビュを感じた。それは、その観光地の特徴的な場所ではなく、なんてことのない場所で、だ。正確に何処だったかはよく覚えていない。

 旅行の記憶が奇妙な形で残ることもある。ナポリがそうだが、説明が長くなるし、デジャビュでもないので説明はしないでおこう。

 もう1つの例は裁判だ。

 古代の呪術的な裁判を信じられないと言い、現代の刑事裁判を正義だ真実だと言う奴が多い。僕には、その2つは同じようなものにしか見えない。古代の呪術的な裁判は、そんな呪術という物語が信じられ、それによって関係者を納得させる儀式だった。現代の裁判は、それが正義だ真実だという物語が信じられ、それによって関係者を納得させる儀式だ。どちらも非科学的だ。この話を受け入れられない者は少なくないと思うけど。

 序に、今年の3月にビジネスホテルに泊まった際の話を書こう。上階が煩いなと思いつつ寝たが、夜中に目を覚ました。その時も煩いなと思った。そう思っていると、いつの間にかちょっとウトウトしてたのだけど、現在住んでる上階のやつの攻撃のような大きな音がした。一瞬、ベロの攻撃かと思ったが、そんなアホな話はない。後で考えると、攻撃と思ったものは夢だと考えるのが最も合理的だろうと結論した。基本的に、寝ている時の攻撃の音は認識できないし、ビジネスホテルの上階の奴がそんな音を出すとは考えにくいから。

 さらに言うと、多くのやつが僕の話を聞くと、僕の頭がオカシイと思っているようだ。はっきり言うが、僕に統合失調症や妄想の症状は全く無い。そもそも、そういう症状だと仮定すると説明のつかないことばかりだ。熟睡中に叩き起こされることですら、妄想で起きるとは考えられない。2018年の初めに、自律神経失調症の診断書を貰うために心療内科に行くと、自律神経失調症の診断書は出せるが、その理由は書けないという。そしてそのバカ医者は、僕がせん妄だと説得しようとする。念の為に、僕に統合失調症やせん妄の何か症状はあるかと聞くと、ないという。単に僕の話が理解できずに、妄想だと決め込んでいるのだ。これが現実の医者のレベルだ。アメリカで、正常な研究者が精神科に行って、声が聞こえると言い、それ以外は事実を話して何が起きるかを確かめる実験があった。その多くが、統合失調症と診断されて入院させらたのだ。

 僕も上階の奴の声を聞いた。その多くは、うめき声や叫び声だ。大きな声で話せば、何かを言ってる事はわかるが、何と言ってるかはわからない。それは声が小さくて聞こえないからではなく、下の階の僕が聞ける声の周波数が一部でしかないからだ。世の中の大半は、常識や経験でしか判断できない、理解する能力の欠如したバカなのだ。
作品名:サイコパスナイト 付録 作家名:隊長