不器用過ぎる僕等
改訂版
荘厳な雰囲気の中、それは執り行われた。わびさびを重んじる茶道に若干反するような豪華絢爛な装いをした茶室に秀吉様へと遣える者共が本人と共に円陣を描くように座っていた。皆が正座をしている中で一人だけ異彩を放っている男がいる。
顔の鼻から下を白い布で隠している彼は大谷刑部と呼ばれる、紀之介である。正直戦に関しては私が部下のように頼りっぱなしだ。
今日の茶会は一つの茶碗に入った茶を飲み回す事を主にしている。親睦を高める為のようだが、果たして意味があるのかと問われると、どう返していいかわからないものである。
誰も必要最小限しか動かず、空気が鉛のように重たく感じていて、目を閉じて大人しくしていたのだが、辺りがいきなりがやがやと騒々しくなったので仕方なしに目を開けた。
何を話しているのだろうと耳をそばだててみれば、福島正則と加藤清正の話声が聞こえた。
内容を要約すると、どうやら紀之介が茶碗に口付けたのが気に食わないのだという。病が移るだの、事実に反するような台詞を吐いていた。
この病については知られていない事が多すぎるのだ。触る程度では感染るとは思えないし、前世の呪いだと言われても決定的な理由がない。
「大谷刑部が病を治癒する為に新鮮な血が必要で、千人斬りと称して惨殺事件を起こしている」と去年大坂で広まった噂にしても言えるだろう。冤罪なのに好奇の視線を向けられたりするのも、病について無知な輩が吹聴しているからだ。他の誰かならなんとも思わない事だが、紀之介ならば別である。
茶碗に目を向けてみれば、誰も彼も飲むふりばかりして次へと茶を回していた。
たかが口付け程度だし、聡明な彼なら口を付けるふりしかしていないであろうに、それこそ病的な光景である。
紀之介はと言えば少し捲って口元を露出していた布を定位置へ戻して、鼻から下全てを隠すような出で立ちで、ぬばたま色をした瞳は俯いている所為で見えなかった。肩が幽かに震えている、誰かいなかったら泣き出してしまいそうだ。
それを見て清正は正則はクスクスと笑いあっている。それを見ると腑が煮えくり返るような怒りに駆られて、立ち上がって叫んでやれば、どれだけ気分が晴れるだろうかと所詮は絵空事を考える。
けれど、出来るわけもなく黙っていれば、自分の前になみなみと注がれた茶碗が置かれた。なんとも芳しい香りがして、飲まずには勿体無い代物である。どうせ、紀之介が口付けた後など飲みたがらないだろうしと、器に口付けて一息に飲み下してやった。喉を熱い塊が落ちていく、凄く上品な甘さが口一杯に広がった。
「…………」
無言で隣の奴の前に置いてやれば、空っぽの器に驚いてたものの、何も言わず無言で飲むふりをして次に回していた。
表面上は飲んだ事にして、次々と器が巡りに巡って元の位置に戻っていく。
「では、お開きにするか」
主がそう言い、出て行った途端に皆はそさくさと部屋を去っていった。
部屋には私と紀之介しか残っていなかった。彼はやはり下に向いたままで、近付いても気付く様子はない。肩を叩けば驚いたように顔をあげて此方を見てくる。黒く混沌を溶かし込んだような色合いの瞳の中に、私の姿が映り込んでいた。
「どうした、紀之介」
「別に。佐吉こそどうなのさ」
対面になるように座って首を傾げれば、紀之介は扇を出してぱちぱち鳴らしながら鏡写しのように首を傾げてきた。
彼が扇子をいじるのが考えている時の癖だという。いい考えを思いつくには、同じ事を繰り返して精神統一をするのが一番なのだとか。私が組んだ腕に指を這わせて、人差し指で叩くのと同じなのだろう。
「その、な。特に意味は無いが、貴様が残っている理由を問おうと思っただけだ」
「なるほど。小生にしても貴公が立ち上がる素振りを見せぬものだから、不思議に思っていたのだが、まさかお互いそのように思うておるなど奇遇だね」
「ああ。ところで貴様は先程、茶に口を付けたのか?」
「まさか。馬鹿にしないでくれないでくれないか。ただ、口付けるふりをしただけだし、小生は膿を茶碗に落とす程、愚鈍ではないよ」
彼はいきなり立ち上がると、腕を差しのばされて私を掴む。それに吊られるように座るのをやめれば、紀之介はクスクス笑いながら「小生の部屋に来るといい」と言いながら手を繋いできた。
「ちょっと待て、紀之介!」
「どうかしたのか? ほら、早く行こう。この茶室に長時間いるのは戴けない」
白い布でこしらえられた手袋越しに触れる肌は、温かかった。
「……まぁ、ここは主の茶室だからな。では紀之介の部屋に邪魔させて貰うぞ」
「喜んで」
繋がれた手の平を解かないままに、指と指が一本ずつ絡むよう握り直せば、紀之介は驚いたようにこちらを見た直後に嬉しそうな表情をした。鼻から下は布で見えないが、目だけでも、ある程度の表情はわかるものである。
「紀之介は相変わらず、私をはらはらさせる。秀吉様が居なかったら、加藤清正や福島正則に危害を与えていたかもしれないぞ」
「佐吉こそ、心配し過ぎではないか。小生に非がないのは明らかなのだから、傷付きやしないよ」
腕をゆるやかに前後に揺らしながら、歩いていれば目の前に見える紀之介の部屋が見えた。お互いにそさくさと入り込んで襖を閉め、私と紀之介は相手を指差しながら耐えられないといったように笑う事となる。
「部屋に入るまで、随分とすばしっこいのだな、紀之介。私に見られたくないものでもあるのか?」
「っく、はは。そっちこそ、まるで盗人のように素早く入るものだね。佐吉」
そういう具合に軽口を叩けるのも、友人という立場にいるから出来る行為であった。
「私はいつも、効率の良さを大事にしているからな」
「小生は佐吉と早く、二人っきりになりたかったものでね」
紀之介はふふふ、と笑いながら私の方にしなだれてきた。掛かってくる重さは幸せの重さである、この行為は彼が私を信頼してくれている証だと思うと羽のように軽く感じた。
「今日は妙に可愛い事を言うのだな、佐吉」
「たまには甘えさせてくれないのか? 相も変わらず佐吉は酷い」
目許を開いた扇で隠して、しくしく泣く真似をして見せた。いつも無機質な目をして淡々と話す彼しか知らない人がみたら奇怪な光景だと思う、そのくらい表情豊かに物事を表現する姿は珍しいのだ。
「私が酷いのは知っているだろう。だが、そっちが甘える気なら私が甘えさせてやる」
「……それは、光栄な事で」
紀之介は布越しで、私の頬へ接吻を施してきた。
それに対して、不器用な私は何も言わないままに肩を抱き締めてやる事しか出来ない。
「小生はこの布を外したら貴公に嫌われてしまいそうだ」
彼は彼なりに不器用なようで、私が真実に触れる事を頑として嫌がっていた。