ゾンビ
「……誰かしら……」
たかゆきの母が恐る恐る行くと、
「おばさん大変です、開けて下さい! 開けて下さい!」
その声は、同じ塾から同じ方向に一緒に帰ってくるたかゆきの友人、ともきのものだった。
たかゆきの母が急いで開けると、そこには青ざめたともきだけがいた。
「どうしたのともきくん、たかゆきは?」
ともきは息を切らしながら答えた。
「たかゆきが……たかゆきが神社の角でゾンビに襲われて、たかゆきもゾンビになっちゃったんです」
「ええっ!?」
「こっちに向かってきてますよ。ちょっと出て、見てみて下さい」
ふたりが道に出ると、向こうの街灯に照らされながら、異様な歩き方をする者が、動きは決して速くなくも、間違い無くこちらに向かってきているのが見えた。
「たかゆき!」
声を上げたたかゆきの母を、ともきは気の毒そうに見やった。
「おばさん……」
「……たかゆき、何ヘンな歩き方してるの!? 近所の皆さんに見られたら恥ずかしいじゃないの!」
「おばさん!?」
驚くともきをよそ目に、たかゆきを注視していたたかゆきの母がまたわめいた。
「何よあの子歩きスマホ始めた? 私にケンカ売ってるの? だめだっていっつも言ってるのに!」
ともきがなだめて言った。
「お、おばさん落ち着いて下さい! そこは今問題じゃないですよ」
「……そういえばそうね。たかゆきのやつ、夜九時以降のスマホだめなのにホントしようの無い」
混乱するたかゆきの母と、その混乱ぶりを他山の石として冷静になっていくともきの耳に、ゾンビの呻き声が近づいてきた。
「ウゥ~ッ、ウゥ~ッ」
「おばさん、家に入りましょう! 固く戸締りをして、警察を呼ぶか何かしましょう」
ふたりは急いで家に入って、玄関の鍵をかけた。季節のさなか、まだ網戸になっていた窓を雨戸ごと閉めた。
と、玄関のほうから、衝突音が繰り返し聞こえてきた。
たかゆきの母とともきが玄関に向かうと、またゾンビの呻き声が聞こえた。
「ウゥ~ッ、ウゥ~ッ」
「警察は僕が電話します」
ともきが電話しようとすると、ものすごい音とともに玄関が壊され、ゾンビが姿を現した。母は、変わり果てた息子の姿を、今や目前にしっかと見た。
「な、何その怪力!? おばさん、離れましょう」
「たかゆき!」
声を上げたたかゆきの母を、ともきは気の毒そうに見やった。
「たかゆきあんた襟がヘンになってるよ!」
「ウガァ~ッ!」
「おばさん!」
ともきはたかゆきの母を連れ、庭のほうから脱出すべく走り出した。
「ウゥ~ッ、ウゥ~ッ」
ゾンビの呻き声が移動する。が、ともきたちを追ってはこない。キッチンに向かっているようだ。
ともきたちが距離を保ちながら追うと、ゾンビはキッチンの電気を点け、ポットからお湯を出してお茶を作った。
「のどが渇いてたのか」
「ウゥ~ッ……」
ともきたちに見守られながら、ゾンビは湯飲みを高く上げてお茶を飲み干した。
「たかゆき!」
声を上げたたかゆきの母を、ともきは気の毒そうに見やった。
「たかゆき、お茶は飲み干さないのがビジネスマナーよ!」
混乱するたかゆきの母に、その混乱ぶりを他山の石として冷静になっていくともきが言った。
「おばさん! 今そこは問題じゃないですよ! 将来たかゆきに役立てばいいと僕も思いますが」
「お母さん、おっしゃられるとおりです」
ゾンビが突然答えた。
「たかゆき! あんた敬語もおかしい!」
「いやおばさん! やっぱり今そこはどーでもいいですよ! っていうかたかゆきおまえ喋れたのかよ!」
「何よともきくん! あなたも大人への口調がおかしいわよ!」
「ひい~何かついに俺のほうにも来た……」
小声でボヤくともきをよそ目に、ゾンビは次に、食卓にあったお団子を手に取った。
「お、おばさん見て下さい! たかゆきおなかも減らしてたんですね! ほ、ほら大好きなみたらし団子を」
「ともきくん! 北海道ではしょう油団子って言わないとだめよ!」
「あ、ハイ……」
すっかり俺――小学校卒業と同時に北海道へ越してきた――もターゲットにされてしまった。何で俺が、某ケンミン SHOW みたいな小ねたで叱られないといけないのか……
「ウゥ~ッ、しょう油団子おいしい」
ともきはゾンビを見た。そこには、ゾンビになる前のたかゆきの姿が見えた。たかゆきとしての意識は既に消え失せたのだろうとともきは思い込んでいたが、意外とたかゆきの自我は残っているのだろうか。ともきは呼びかけた。
「たかゆき……! おまえ……」
「たかゆき! 食べた時に味の良しあしを言うのは、平安貴族のタブーだったのよ!」
「おばさん!?」
どんだけマナー事典なんだよ! っていうか俺も読者もその情報の真偽が分からないよ! と、先ほど叱られたばかりのともきは不承不承心の中でだけツッコんだ。
「ウゥ~ッ、ウゥ~ッ」
しょう油団子を食べ終えると、ゾンビはその皿を洗い始めた。
「たかゆき! 今日のたかゆきは本当にどうしちゃったのかしら。自宅にゲストがいる間はお皿を洗わないのが、ノルウェー流なのに」
知らねーよ! と声に出しそうになったが、ともきはやはり言わなかった。
「たかゆき、しょうゆ団子だけじゃ足りないわよね? ちゃんと夕ご飯にしましょうか」
「おばさん……」
ともきを背に、たかゆきの母はたかゆきに近寄っていった。ともきは何も言えずにたたずんでいた。分からない……危ない、とは思う。でも同時に、あのゾンビに、たかゆきの意識がまだ存在しているようにも思う。
「さあたかゆき……キャアアアアアアアアアアアアッ!」
「お、おばさん!?」
何と、ゾンビは突然、たかゆきの母の頭にかじりついたのだった。
「キャアアアアアアアアアアアアッ!」
「ギャアアアアおばさーん!
たかゆきの母の頭から、たくさんの血が床に流れ落ちる。
「たかゆきいいいいいいいい……さっきは冷静じゃなかったから言い忘れたけど、あんた食べる前にはいただきますって言わないとだめじゃないのおおお!」
あの怪力でやられながらこの状況でも喋れるんだ、と感心しながらともきはふるえていたが、それでも男児である。ともきは勇気を振り絞って叫んだ。
「おばさん、僕が何とかします。お、おいゾンビの野郎! おばさんから離れろ!」
と、たかゆきの母は血を流しながら叫んだ。
「あとともきくん、あなたは登場以来おばさんおばさんって言い過ぎい!」
(了)