筋肉の痛みは嫌いだ。何故。痛いことは悪いことじゃないのに。痛くあってくれとあれほど迄に願っていたのに。苦しいのが嫌なのか。辛いのが嫌なのか。歩きたいのか。歩きたくないのか。わからないけれど、嫌だというその感情が生じていることはわかるから。それは、それだけでいい。阻まれること。そして動けないこと。自由でありたい。それに反するものは全て消えてしまえばいい。訳なんていらない。欲しいのは願いだけだ。願いは叶わないから美しい。叶ってしまったら、もう願いではなくなってしまうし、願いであったという過去も消えてしまう。そんな醜いものなどいらない。目指すものがあった。それに向かって努めた。そしてそれが叶った。そしたらその痛みもまた醜いものになる。あるいは叶わなかった。そしたらその痛みは、散ってしまった夢の辛さを背負う。儚いものがいい。刹那的な輝きを見たい。だから筋肉の痛みは嫌いだ。やっぱり何もわからないけど、筋肉痛は嫌いだ。