端数報告3
それに、と思う。これを書いてて思い出したが、三等あたりがもしも当たりでもしたならば、喜ぶのでなくかえってガッカリしそうな気がして何か怖いものを感じた。だからおれはあのときに、番号を確かめずに券を破ることにしたのだ。後悔はない。それが正解だったのだとおれは思うようにしている。
でもいま思い出してみるに、ひょっとしたら三等くらい当たっていたかもしれないよなあ。惜しいことをしたかもしれんが、とにかくだ。栗山千明もテレサと同じく、ユナボマーの声明文を、高学歴で知性ある人物が書いたものだとわかると言う。聡明な人が書いたと感じると言う。言ってることの大半は理解できるから、と。
1997年・神戸の酒鬼薔薇聖斗事件でも、テレビで話す連中がみな同じこと言ったっけ。対して、おれのこの文は、低学歴で知性のないやつが書いたとみなわかるでしょ。聡明でないやつが書いたと感じるでしょう。言ってることの大半がもうちゃんちゃらおかしいからと。確かにおれは高卒で、勉強のたいしてできる人間じゃなかった。
それに比べて、ユナボマー事件の犯人T・カジンスキーは、IQが167の天才という。だが天才であることは、聡明であることとイコールなのか。
カジンスキーは確かに天才であるとして、ゴルゴ13は天才か。
画像:空想科学論争!177ページ
おれの手元にこの通り、『空想科学論争!』という実にくだらない本があり、『ゴルゴ13を「天才」と呼んでも差し支えないか?』と題するくだらない項目があって、著者のひとりである柳田理科雄が、
*
(略)友人に、東大大学院博士過程の途中で東大の助手に抜擢された物理学者がいる。このT氏とその周辺を点描することによって、研究室に残る人々の実像に迫ってみよう。
まず、彼らは(略)
さらに、コミュニケーション能力が欠乏している。T氏の結婚式でスピーチに立った研究者は、サンダーバードへの憧れを諄々と語り、T氏のことにはとうとう一切触れなかった。
また2次会で、私が同級生の女性とカウンターに並んで話していたら、突然異臭が。そう、このあと対談に登場する時間測定世界記録男が近づいてきたのだ! 彼は私と彼女の間にニュッと頭を突っ込み、私に後頭部を見せて機関銃のように口説き始めたのであった。
愛すべき人たちだなあ。
画像:空想科学論争!表紙
と書いて、その後にもうひとりの著者・円道祥之との対談で、
*
円道「柳田さん、塾で教えていて、「この子は天才だッ」と思った子供はいます?」
柳田「稀にいますね。大雑把に言うと、常に全体を見ていながら、しかもポイントにウエートを置いて見ることができる、そういう子供でしょうか」
円道「それは何か特定の教科やジャンルにおいて天才なんですか? それとも全教科にわたって天才だったりするんでしょうか?」
柳田「感覚的にしか答えられませんが、どちらかというと、特定のものがズバ抜けて優れている感じですね。そういえば、生徒ではありませんけど、極端な例を知っています。経済産業省の研究所にいるんですが、なかなかトンデモない人で、友人がその人の家に遊びに行ったら、玄関を開けた瞬間に吐いてしまった!」
円道「ええっ!? モーレツに部屋が汚くて?」
柳田「はい。ところが、ところがです。人類は現在、時間を1兆分の1秒まで計ることができるんですが、それはその人が達成したことなんです。世界最先端」
所長「世界的に有名な人なんですか?」
柳田「その分野では、ですね。でも、実験物理学の世界以外では何億分の1秒なんて普通に暮らしている分にはまったく関係ない。その人が凄いことには違いはないのですが。しかし、吐くような部屋に住んでいるんですね」
所長「……その人、天才なんですか?」
柳田「周囲の学者仲間などからはそうかもしれないと言われてます。明らかに突出していますしね。ただ、へこんでいる部分もあって、それが深すぎる(笑)」
画像:空想科学論争!表紙
こう話している。カジンスキーはこの時間測定世界記録男と似たようなもんだったりせんのか。
としたら、そういう人間を、新解さんの定義で〈聡明な人〉と呼べない。おれの時計は一度も合わせたことがないのが今3秒狂っているが、もう充分すぎるほどでこれ以上の精度は要らない。
画像:F-91Wと聡明
グリコ・森永事件の犯人グループ〈かい人21面相〉の手紙を書いた人間も、低学歴で知性はあまりなさそうに思える。しかし、おれはその彼に共感を覚える。
こんなことを書くと警察の取り調べを受けるかもしれないが、〈彼ら〉はたんに、
「でっかいことをやって世間をアッと言わせてみたい」
と考える者達だった。おれにはそう思える。標的とした相手は彼らが主張するものの象徴だった。おれにはそう思える。
子供だ。子供が好きだから、あえてヒール(悪役)を演じることで子供が好きな食べ物を作る企業をリングに上げる。「志村、志村」と子供達が志村を応援するように、グリコや丸大食品や、森永や不二家やハウス食品といった会社を応援さすのだ。グリコ、グリコ! 森永、森永! かい人21面相なんかに負けるな! 秀樹感激ハウスバーモントカレーだ、負けるな!
そうや、お前ら腕白でもええ! たくましく育ってくれたなら! というのがおれの考えるグリコ・森永事件の真相である。〈劇場型犯罪〉と言うよりプロレスだったのだ。おれの中には彼らと似たところがある。彼らのような手段は取らぬが、関西人が、
「浅草の雷門がなんぼのもんじゃ。大阪にはグリコのネオン看板があるんや」
と思っているとしたら、その不満には共感できる。しかし、セオドア・カジンスキーには、なんの共感も覚えはしない。
ロバート・ライトというやつがどこの何様なのか知らんが、機関銃のようにしゃべる早口男じゃないのか。おれはそれを聡明としない。早口でしゃべる人間はテロリストだ。自分の心が恐怖で支配されているから、他人を恐怖で支配しようと考える。それがテロリスト、恐怖主義者だ。手洗い励行。手洗い励行。手洗いしないと〈波〉が来るんです。イランでは何万人も死んでるんだから、日本に〈波〉が来たならば何千万も死ぬってことがわかりますよね。イランでは何万人も死んでいる。それは日本に〈波〉が来たならば、何千万も死ぬということなのだから! 防ぐには手洗い励行しかないんです。〈波〉はそこまで迫ってるんだ。もうそこまで迫ってるんだ。ボクにはそれがわかる。だから手洗い励行をしなきゃいけないってことなんですよ。わかるでしょう! わかるでしょう、ねえ、何千万も死ぬんだからあああああああ。
というのがテロリスト。恐怖に心を盗られた者の論理なのだが、ロバート・ライトとかいうのは、もちろんこれに違いあるまい。だからセオドア・カジンスキーに共感を覚える。おれは覚えない。テロで何を叫んだところでマトモな心の人間が共鳴なんかすることはない。おれはそう考えるからだ。