第三話 くらしの中で
楽しみ その一
独りの生活なのでやりたいことは自由にやれて、食べたい物は何でも食べて、洋服や持ち物は欲しければ買う。
だが何でもできるということは満足感には繋がらず、それと裏腹に何か欲しいという欲望が無くなりつつあることは確かだ。
私の子供時代は食べ物も今ほど豊富ではなかった。国自体が貧困だったからだ。私はまだましなほうで小学校の児童の中には貧しい家庭の子も沢山いた。
今では考えられない日の丸弁当を持って来る子、麦飯に削り節の粉を振りかけてある弁当。そういう私も弁当の中身はスルメイカがご飯の五分の一ほどのスペースに横列で入っていた。
町の高校に入って同級生の弁当箱を覗いた時、おかずは別の小さな箱に色々入っていた。スパゲティが入っていてうわっと思い、お弁当ってこんなに色々入ってるものなんだって驚いたことを覚えている。
今はどうだろう。色とりどりに配分しお握りには目や口をアレンジして、弁当箱を開けた時子供が喜ぶように工夫して作るお母さんが多い。
ところがそれに代わって、物資が無くて美味しい物が食べられなかった時代には話題にならなかった食物アレルギーが現代病として出現した。
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私の同年代の知人の中には、定年退職後の年金で生活している人や、夫が亡くなり遺族年金と自分の年金でやりくりしている人がいる。国民年金を受給している人は別収入が無い場合、老齢になっても体が続くかぎりパートに出てわずかの収入を得ている。
主婦を通した人でも配偶者が退職するまでに将来設計をして老後の資金を貯めてきた者は今まで通りの裕福な生活が出来ているようだ。
今の時代は物価が高くなりつつある食料の他には、衣類その他は外国からの輸入品で極安の物に溢れているので貧相な恰好をしている者や不便な生活をしている人は無いように思う。
作品名:第三話 くらしの中で 作家名:笹峰霧子