国民を追い詰める悪政と悪税
日本の厚生年金制度ではおおよそ所得の一割が徴収されているが、例えばとある地域で一人暮らしをすることにおいて最低でも年間三百万円かかるとし、家族構成などは同一とした上で、年収三百万円の労働者と、一千万円の労働者がいたとしよう。この時に、政府が保険料として一割を徴収するのだから、前者からは三十万円、後者からは百万円を取ることになる。
年収一千万円の労働者は取られる額こそ多いものの手元には九百万円が残るので生活するのに支障は無く、仮に徴収される金額が二倍や三倍に上がっても同様だろう。しかし、年収三百万円の労働者は必要な額が払えないので、仮に貯蓄が無いとすれば家賃が払えないなどの理由によって住居を無くし、住所を無くすのだから行政上の手続きすら出来ず支援が受けられる可能性は無くなることで希望は絶たれ、そのまま自殺をしてしまう可能性すらあるだろう。
これらから分かるように経済的な余力の無い貧困層から税金を徴収するということ自体が彼らの生存権を侵害し、自殺に追いやることになる。 これらから分かるように経済的な余力の無い貧困層から税金を徴収するということ自体が彼らの生存権を侵害し、自殺に追いやることになる。貧しい者から強制的に金を取り上げるなどということは、本来は人殺しと何ら変わらない悪行でしかないのだ。
この例において重要なのは、政府が低所得者から税を徴収しなければ、必要な費用が所得を越さず、その人は路頭に迷わずに済んだ可能性が高いということである。あるいはその人の所得が十万円高ければ、所得が必要経費を上回って少しずつでも貯蓄が出来るため生活に余裕が出来、誰かと結婚して家庭を持とうかという気にもなっただろう。しかし、生活の苦しい貧者からであっても徴税するという政府の愚策が、作られるはずだった家庭や子孫を無惨にも殺してしまっている。
生活保護のような給付を受けられるか全く受けられないかという極端な話でなく、本来ならば、働いても十分な生活費を得られない世帯に対しては不足分を住居の提供や生活の給付などの形で彼らを死なせないように生活費を補うことをしなければならないというのに、愚かな日本政府は支援をするどころか生きるために必要な少ない資産や賃金を保険料や消費税という名目で奪って更なる経済苦や自殺へと追い込んでいる。一定の知性があれば、このように心無く、客観的に見て最低な政府や国家に対して忠誠心や敬愛を抱く人間などは到底想像が出来ない話である。形はどうあれ国民や国家として危機的な状況の中で助けや頼りになるからこそ、あるいは子孫達を守ってもらえると思うからこそ、国民は政府を敬うのだ。
近年上がり続けている消費税にしても、低所得者ほど所得に対する消費の割合が多いために、貧しい者ほど重くのしかかる明らかな悪税であり、健康保険料負担の増大と合わさって国民は経済的な貧困へ次々と突き落とされているのが現状だろう。
未だに多くの日本人が誤解しているようだが、税金とはそもそも財源ではない。税制の存在理由とは貨幣を市場から吸い取ることでそれの供給過多を抑えること即ち単に物価を抑制するためであり、財源の確保などは、国債として自国通貨を発行することでインフレーションにならない限りにおいて制約を受けないのだ。にもかかわらず、日本人の多くがそれを誤解しているというのは、長年の報道などによって作られた日本人の貨幣観の間違いが原因だろう。
もし仮に政府が規格外の重税を課すなどして殆どの国債を返還すれば、市場からは通貨が激減し、大卒の初任給が百円などという昭和初期と同程度の給料水準まで衰退することすら有り得るのだ。
もし仮に麻生財務大臣やマスメディアなどが言うように国債発行額が将来世代へのツケというならば、それを支持する言論人や政治家や財務官僚は、今すぐにでも自らの預貯金を全て引き出し、加えて土地や建物や家具などを含めて自らが保有する資産と呼べるものの全てを貨幣へと換金した上で、彼らは後生大事にしているが客観的に見て害悪でしかない財政均衡主義の維持のためにそれらの全額を国債の返還へ充てるべきだろう。彼らの言うことが正しいならば、そもそも所得をもらうことすらも国益に反するのだから、将来世代を慮る優しい政治家や財務官僚達は、子孫達のために是非とも資産の全てを政府へ寄付した上で最低賃金程度で働くべきであり、それが出来ないならば自らの主張にすら責任を負えない単なる欺瞞だらけの偽善者ということである。不必要な不幸を国民に押し付けておきながら保身だけは徹底する彼らほど醜悪な存在はいないだろう
国債というものは将来世代へのツケなどという意味が不明のものではなく、正しくは「将来世代への資産」なのだ。子孫に対して残す予定の土地や建物や預貯金などを負債だなどと考えている者はいないだろうが、前述した緊縮財政派の政治家や財務官僚共の考えに則って考えれば、それらは全て将来世代へのツケとなってしまう。日本人が当たり前に持っている現金や預貯金などの国民の資産は、その全てが同時に政府の負債である。彼らの言う通りに国債の発行額を減らし続ければ、子孫達へと何も資産を残せず、ただ貧しい暮らしを押し付けるのみとなるだろう。
豊かな国を残すためには、まず国民を貧困によって死なせないために生活に苦しむ低所得者層から税や保険料を徴収しないことであり、それはつまり悪税である消費税を廃止し、住む地域によっても多少は異なるだろうが、例えば資産額や年収が四百万円以下の低所得者層へは健康保険料を免除するということである。そんなことをすれば不平等だという指摘や、高所得者が海外に逃げてしまうかもしれないという指摘もあるだろうが、税を課されても豊かな生活の出来る層が海外に逃げることと、貧困層が更なる貧困へと追い込まれて少子化や自殺の増加を引き起こすことのどちらが国家にとって危険かを考えるべきだろう。守るべきは国体であると共に所得にかかわらず国民も国体の一部であるのだから、国民を追い詰めるということは国体を危機に晒すと言うことになるのだ。厚生年金として受け取る分のお金はどうするのかという指摘は、労働していた頃の所得に基づいて給付額が決定されるとしても前述したように税金は財源ではないのだから、その時の給与額を記録するだけで良く、何も低所得者から実際に保険料を徴収する必要などはないのだ。
全体的な所得水準を向上させ、かつ国内経済を活性化させるために、二十年以上続けているデフレーションを脱却するまで国債を発行することで安全保障や科学技術や災害対策などの予算に充てることで国体と国民生活の両方を守るべきである。
政治とは本来それらを為すためのものであり、それが出来ない者は決して政治へとは関わるべきではない。
故に日本の有権者は、そうした悪政を敷く政治家や主張の間違っている政治家を決して容認するべきでなく、選挙があれば纏まって働きかけることで民主政治へと誘導しなければならないのだ。
作品名:国民を追い詰める悪政と悪税 作家名:ナナシ