壁の中
彼は一応「あいつら」に殺されずにすんだ。しかしそれは現時点での話でしかない。いつまた「あいつら」が殺しにかかるか分からない。その時にはまた彼は「あいつら」を殺そうとするだろう。それは自己防衛であり、自己表現である。生まれてからほとんどの間、隣に居座っている「あいつら」に、自分の存在を知らしめるのだ。
ただ、ここで、ふと考えるのは、果たして、私自身は「あいつら」の中に含まれていないのか、ということである。自分自身の中を探しても、自分が「あいつら」ではないという確証を得ることは出来ないではないか。「殺すほどじゃない」と考えていた自分や、初老の教師に殴りかかれなかった自分を堂々と彼の前に差し出すことは出来るだろうか。もちろん私は「あいつら」になろうなんて一つも思ってやしない。でも「あいつら」はこちらの隙を見て歩み寄ってくる。「あいつら」が私たちの皮膚から侵入し、寄生してしまえば、もはや自分が「あいつら」に取り込まれていることに気付くことは出来ないだろう。
彼は地図帳を眺めながら「アメリカ行ってみたいなあ。自由の女神見てみたい」と声に出した。島から出たことのない彼はアメリカに行ってどうするのか。その行く末を確かめたい、と心から思ったところで、陳腐なチャイムが灰色の壁の中で鳴り響いた。