犬の笑顔(おしゃべりさんのひとり言 その41)
その41 犬の笑顔
大型ショッピングモールに行き交う人々を、ショウケースの中から眺めている。
(出して出して出して! あたしも歩きたい! 誰かここから連れ出して!)
きっとこんなことを考えているのは、1匹の赤毛の柴犬だ。
まだ生後2ヶ月半のメス。
12万8千円の値札が付いているが、彼女は自分の価値を知らない。
「だめ。捨ててきなさい!」
小学校のころ、家が呉服卸の仕事をしていたので、動物の毛などはご法度だった。
僕は小犬を拾って来ても、毎回元の場所に戻しに行かされるだけなんだ。
それでも空き地や公園で野良犬と接すると、それが家について来て困ることもあったな。
近所には犬を庭で飼ってる家があって、小学校の帰りに頭をなでて、よく手を噛まれたりもした。
血が出たけど、それでも何度も触ってた。本当に犬が飼いたかったんだ。
結婚して間もない頃の僕と妻は、犬を飼うことには同意していたけど、具体的には何犬? オス、メス? 今すぐってことでもなかった。
そんな頃、あのショッピングモールに行って、あのコと出会ったというわけ。
ケースの中から僕らを見付けた瞬間 →笑顔。
僕らの笑顔じゃないですよ。小犬の笑顔です。
一瞬でメロメロになって、翌日にはもう、うちにやって来たんです。
「若い夫婦が犬なんか飼ったら、子供出来ないよ」なんて、よく言われたなぁ。
確かにそれから10年もの間、子供出来なかったけど。
そのコの名前は、「春小町」←(血統書の号名)
でもそのまんまじゃ呼びにくいし、別の名前を付けた。
さんざん考えた挙句に、親しかった方が昔飼ってた犬の名前「エリザベス」から採って「ベス」と名付け、「べーちゃん」と呼ぶことにした。
犬ってなかなか賢い生き物ですね。一緒に過ごしてみて、初めて知ったんだけど。
教えたことはちゃんと覚えるし、ルールも守る。
そんな時のご褒美も大事。
ダメなことはダメってしっかり叱ると、二度と悪さしない。
(こんな経験があったから、実の子も犬の教育法で育てたら、素直ないい子になったよ)
ある日べーちゃんの散歩中に、5メートルくらい伸びる首輪のリードが、電柱に引っかかった。
僕とべーちゃんが、電柱を左右に分かれて通ったからだ。
べーちゃんは、急に引っ張られたようになって、僕を見て立ち止まる。
さすがに、リードが引っかかるってことまでは、予想できなかったみたいだ。
強くリードを引けば、こっち側に戻らせることもできるだろう。でもそれは可哀そう。僕が電柱に戻って、向こう側に回るのも面倒。しつけや訓練にならないし。
だから、人差し指で(電柱をぐるっと回れ)ってゼスチャーで指示してみたら、ベーちゃんは電柱を見て、パッと笑顔になった。
まるで「解った!」って頭に電球が灯ったみたいに。
それで、ひとりで電柱を迂回して僕のところにやって来た。
なんて頭のいい子。
それ以降、二度と電柱に引っかからない。
ある夏、家族でキャンプに行って、山の河原でべーちゃんと遊んだ。
べーちゃんは水遊びが大好きで、水面を蹴ってやると、水に跳び付いて咥えようとする。
何度やっても無駄なのに、決してあきらめない。
僕の方が飽きても「もっともっとぉ!」というふうに近寄って、あの笑顔でおねだりする。
その時、川の中に小さなオタマジャクシがいっぱいいたので、それを見せたらどうするかなって。
水の中だから見えないかもしれないし、きっとオタマジャクシの臭いも感じてないだろう。
一匹すくって、掌に載せて見せてやったら、ピクッって反応した。
(なにこれ?)って興味を持ったみたいだ。
顔に近付けると少しおっかなビックリ。
ちょろちょろと動く小さな物体を、何と理解しているのかは分からないけど、僕の顔をチラ見する様子は、(これどうするの? 面白いんでしょ。早く何かやってみてよ)って思ってるに違いない。
軽く掌を水に浸けたら、泳ぎだすそれに興味津々で顔を近付けてる。
周りの石を持ち上げると、その下に隠れていたオタマジャクシが一斉に泳ぎだして、べーちゃん大興奮。
鼻先を水面ぎりぎりに付けて、水中の生き物を見ている。
オタマジャクシがまた石の下に隠れて落ち着くと、僕を見上げて(おわり?)って聞く。
今度は別の石を持ち上げてやると、また顔を近付けてその様子を観察している。
食べたいのでも、突っつくのでもなく、ただ嬉しそうに見てるだけだ。
またそれらが隠れると、石の下をずっと注視して出てくるのを待っているべーちゃん。
でも(出てこないね。なんでかな?)って考えてる様子。
次に僕を見た時は、いつもの笑顔でおねだりの合図。(また石を持ち上げて!)って思ってるんだろうけど、そうしてやらなかったら、自分で動かそうと前足で石をカイカイしだした。
でも動かないよね。
(どうするだろう?)って思ってたら、なんと、僕の手の甲を前足でちょんちょんと触って、次に石をカイカイ。
つまり僕に(この石持ち上げて)って、ゼスチャーで伝えて来たんだ。
その瞬間、僕と妻は「えええ〜!!!」って叫んじゃった。
それからそのオタマジャクシをいっぱい掬って、キャンプ用のお皿に入れてやると、べーちゃん嬉しそうにずっと眺めてた。
その時、ずっと笑顔なんだ。
テレビで動物の面白映像なんかをやってると、結構笑う犬の動画があって、「犬って笑うんですね」とか言ってるタレントさん多いけど、犬って本当に子供と一緒なんですよね。
そりゃ、なかなか子供出来ないはずだね。
つづく
作品名:犬の笑顔(おしゃべりさんのひとり言 その41) 作家名:亨利(ヘンリー)