おその惣助物語(完結)
七話 裏切りの村
惣助の家でおそのが見つかってから、おそのの夫染二郎は、散々文句を言って離縁をし、染二郎方の家からおそのは大層詰られた。母親も厳しくおそのを咎めたし、病床の父でさえがっかりして、しかも父親はそのまま、数日で亡くなってしまった。
おそのの父親の葬儀は、村方からはほとんど誰も参列者が無かった。母親は坊さんが読経をしている間はじっと黙っていて、おそのはぼーっと気抜けしたように、ただ座布団の上に座っていた。
通夜や葬儀に集まった親類縁者の者はひそひそとおそのの噂をしていたが、おそのにはもう、それを気にしている暇は無かった。
父親に誤解されたまま、父親は死んでしまった。もう、どうすることも出来ない。
おそのはそれが悔しく、また悲しく、誰も自分を信じてくれないことが寂しかった。
それからおそのはなんとなく病がちになり、月に七、八日は布団の上で過ごした。
だんだんと、日々が辛いだけになっていく。母親はあまりおそのの看病にはかまってくれず、おそのを冷たい目で見るようになっていた。
「甚平屋」の客もめっきり減った。今までは村人も訪ねてくれていたが、近ごろではほとんどが隣町まで行く間に寄る客ばかりになっていた。
惣助も、村人からの扱われ方は同じであった。
それまでは惣助さん惣助さんと親切だった村人が、みんなして惣助に後ろ指を差して挨拶もしないようになり、何かを頼もうとしても、誰からも無視された。
惣助は、我慢がならなかった。
自分は良い。軽はずみなことをおそのにさせようとしたのは自分なのだ。だが、おそのはあの晩、自分から死のうとまで思い詰め、それをすんでのところで助かったばかりで、疚しいことなど何も無い。それなのに、村中がおそのを無視して、冷たい噂を流し、嘲笑っている。惣助は憤っていた。
しかし、そうなってしまった事は、ほとんど変えようがない。誰も自分たちの話など聴いてくれない。
惣助は、今まで甲斐があると感じていた畑仕事がなんとなく怠くなっていき、家でぼーっとしている日が増えた。
そのうちに畑は荒れ放題になっていく。雑草だらけで、萎れた大根の葉が並んでいるのを見た惣助は、それ以後、畑に行かなくなった。
そんなある日のこと、ある男が惣助の家を訪ねた。
「惣助よぉ、居るけぇ」
戸の向こうから聴こえた声を、惣助は睨みつける。
「誰でぇ」
惣助は、相手を追い返すような声を戸にぶつけた。しかしそれも構わずガラガラと戸が開いて、「よぉ」と男が顔を出す。
それは、惣助の隣に住む、「半次」という男であった。隣と言っても、農地が点在するここいらは、隣家までかなりの距離がある。惣助の家は小山の麓に近かったが、半次の家は更に山寄りにある、林の手前に立っていた。
半次はかなり背が高く、おっそろしく体の細い男で、しかし、身軽ではきはきした手足の動きからは、頼りなさは感じなかった。顔も、眉間の皺とぎょろっとした目、突き出た唇、こけた頬などは、目配りの小器用さと、抜け目のなさを感じさせた。
その半次が、頭から手ぬぐいを下ろしてにたにたっと笑う。
「やったってなぁ、惣助」
そう言って半次は、片手に握った手ぬぐいを、もう片手のひらにぱたんぱたんとぶつけている。惣助はそれをじろっと睨んだ。
「そうこええ顔すんない。おらぁ、おめが悪ぃっちってるんじゃねえ」
「あれは間違ぇだ!」
惣助は今までの鬱憤を全部ぶつけるように、半次を怒鳴りつけた。半次は片手を振るだけでそれをいなす。
「そうだろ、そうだろ。おめにすんなことぉ出来る意気地ぁねえだよ」
「……帰ぇれ!」
ちょっと前なら、惣助は半次にこんな態度は取らなかっただろう。何せ半次は喧嘩っ早さと道楽が過ぎて、村から早々に爪弾きにされたゴロツキだった。村人は皆、半次のことを「こんもり」と呼んだ。半次が夜になると賭場に行くために出かけていくのを見て、誰ともなく、夕方に飛び立ち始める蝙蝠になぞらえるようになったのだ。
惣助は以前は半次を怖がってもいたし、また、「半次だって同じ村の者なのだから」と、挨拶くらいはしていた。でも怖いと思っていたので、申し訳なさそうに「よぉ、半次さん」と惣助は笑っていた。
半次は意地悪そうにまたひひひと笑う。
「おめの畑はまたえかく荒れてらぁな。どうだぁ、仕事をしねえんなら、質にでも入れちまえばええんでねか」
「質に……?」
畑を質入れするのは、本来ならいけないことである。だが、その日のたつきに困る農民が畑を質入れし、なんとか暮らすということはままあった。
惣助は半次が黙っていたので、しばらくつまらなそうに俯いて考える。
思い返せば、もう誰にも恩も無ければ、働く甲斐も無い。自分は、辺り一帯の人間全部に、信じる心を裏切られたのだ。
惣助は腕を振ってため息を吐く。
「…そうすっか」
「決まりだな、俺がどうすっか案内してやるで。それから、連れて行きてえ場所もあるでな、ついてこい」
自暴自棄になっていた惣助は半次についていき、畑を売る書面にさっさと指で判をついて、そのまま半次の後をついていった。
あたりは赤い夕焼けが満たしている。緑の葉も、薄茶の茅葺きも、うっすらと赤橙色に染められて金色の光を返し、日が沈んでいくのと逆の空からは、真っ暗な夜が青黒く迫っていた。
半次はそこいらに生えていたススキを引き抜いて、それをいい加減に振り回しながら、どんどん村を外れて歩いていく。半次と惣助の草鞋の音だけが、ざりさりと鳴っていた。
「半次さん、どこさ行くんでえ?」
「んー?ええとこだ。帰りは明日の朝だでよぉ」
「朝ぁ?そんな時間まで、どこで何ぃするだよ?」
「着いてみりゃあわかんべよ」
二人が入っていったのは、夕暮れ過ぎの寺だった。「こんな時間に、気味の悪いところに来たものだ」と惣助は思っていたが、あまりそれも気にもとめず、半次がひょいひょいと遠慮なく廊下を通っていく後ろを歩いた。
寺の奥にある部屋の戸は閉められており、半次がトントンと叩くと、中から何かごにょごにょと聴こえた。ちょっと後ろに居た惣助には聴き取れなかったが、半次がそのごにょごにょに向かって何かを言って寄越すと、戸が開いた。
「…誰だ、そいつあ」
「こいつは惣助っちゅうだ。口の固ぇ奴だでぇ、心配ぇねえ。俺の連れだ」
惣助は二人が話しているのを聴きながら、ちらりと部屋の中を見た。それは薄暗い部屋だった。坊主は居ない。行灯が一番奥に一つあるきりで、その横には屏風が立ててあり、中央には、布に巻かれた畳が敷いてあった。そして、それを囲むようにして男たちが何かを覗き込んでいる。屏風の前にいる男の前には、湯のみが一つ置かれていた。中は見えないが、おそらくサイコロが入れてあるのだろう。
賭場だ。
「とんだところへ連れてこられたな」と惣助は思ったが、それもどうでもよい気がしていた。掟に背くも従うも、自分の自由だ。そんな投げやりな気分で、迎え入れられるままに、惣助は暗い部屋の中へ吸い込まれていった。
作品名:おその惣助物語(完結) 作家名:桐生甘太郎