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音(ね)

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どうしようもなくだらしない顔をした男がいた。そして彼に対して、強い憎しみを向け続ける存在がいた。
 男のほうは、出会い系アプリであった女性と、オフを成功させてきたばかりであった。初めて相手の本物の顔、背格好やしぐさを見て、自分自身も見られた。お互いにイメージどおりであり、それでいて良い意味で意外性がある点にもお互いに気づき、ふたりで大いに盛り上がった……というその日の体験とこれからの期待に、男はどうしてもニヤついてしまっていたのだった。
 一方、男に憎しみを向けているのは、男が帰路に通り過ぎた一枚の看板が示すところの、死亡事故現場に存在していた女の霊だった。数年前から憎しみを持ってそこにたたずんでいたのだが、その日あまりに幸せそうな顔をして通りかかった男のその顔を目にしてしまうや、激しい怒りがその女の霊をして地縛から解放せしめ、男が恐怖に音を上げるまで彼に取り憑いて離れないことになったのだった。
 さて、憑依霊は手始めに、早速その日の夜、ラップ音を鳴らして男に聞かせた。
 が、しかし、憑依霊の狙いとはかけ離れ、男は全く怖がる様子が無かった。もともと鈍いのか、舞い上がっているのか、男はニヤけを留めて過ごしたのだった。
 とて、憑依霊も、そうあっさりと諦めるものではなかった。
 明くる朝には、男の腕にみみず腫れを発生させた。それでも男が気にしなかったので、夜には男を金縛りにかけた。
 憑依霊は男と離れることが無かったので、男の出かけた先でも当然しかけた。駅のホームでは、男の姿勢をふらつかせた。男が鏡を覗くことがあればその背後に一瞬写ってみせたり、イヤホンで音楽を聴くことがあれば密かにささやきを交えてみせたりした。
 しかし、男は全く怖がる様子が無かった。それどころか、
「今度のデートの遊園地な~。新しい絶叫マシン怖い怖いって評判だけど、俺もカッコ悪いことにならなきゃいいけど……」
などと憑依霊を無視したところで不安がる様子を見せたので、憑依霊は憎しみをますます募らせた。男が恐怖に音を上げるまで、私(憑依霊)による恐怖に音を上げるまで絶対に離れない。絶対に、どんどんエスカレートさせてやる。絶対に……。

「は~、怖かったねえ」
「う~ん、これは俺意外と大丈夫だった」
 名物ジェットコースターを体験し終えたふたりが、感想を述べ合う。
「いやいやすっごく怖かったよお? 何か、ものすごい悲鳴上げてる人もいたよね」
 男は笑った。
「『無理無理ゼッタイ無理』って絶叫してる人いたねー。あそういえば何だろ、あの悲鳴が止まった後、俺の体何か軽くなったような気がする」

【完】
作品名:音(ね) 作家名:Dewdrop