八九三の女
[家族]
何気なく受け取るグラスの中身を認識する
社長は牢籠(たじろ)ぐ
甘いカクテルは口当たりは軽いがアルコール度数が高い
だが譲ってもらった以上、有難く頂戴する事にする
一口、含んで言葉を失う
そんな社長の様子を勘違いした叔母が口を尖らせて聞く
「まだ怒ってるの~?」
ゆっくり首を振る社長はカクテルのグラスをローテーブルに置くと
遠くに押し遣った烏龍茶のタンブラーグラスに手を伸ばす
口直しに一口飲みタンブラーグラスを下げなかった店長に感謝する
叔母は自分の席へと座り掛け
ローテーブルの上の小箱を認めて社長を見遣る
「どうぞ」と、無言で手の平を差し出す社長にお礼を言いながら
ビター、ミルク、ホワイトと並んだ、一枚多いホワイトチョコを選ぶ
叔母の選択に社長は、その顔を眺める
「すんごく、おいし~!」
烏羽色の小箱を手に取り銘柄を確認しようとする叔母が
なにを思ったのか、社長相手に昔話をし始める
「あたしもね」
「千、ファミレスに誘った事あるよ」
クリスマスは不思議と人恋しくなるのかも知れない
皆、幸せなりたくて
皆、幸せになってほしくて
誰でもいいから誰かの温度に触れたくなるのかも知れない
誰でもいいから自分の温度に触れさせたくなるのかも知れない
「千の親が事故で死んじゃって」
「引き取ったんだけど、あたしこんなんだから~」
叔母はネイルアートを施した両手を社長に見せる
叔母ご自慢のキャンディネイルも
クリスマス仕様なのか、左手の薬指の爪はロリポップから
緑と白の縞縞模様のキャンディスティックになっていた
「暫くはお惣菜とかお弁当とかで誤魔化してたんだけど」
「千、段段ご飯食べなくなっちゃって~」
藁にも縋る思いで
叔母は少女と一緒にファミリーレストランに乗り込んだ
「でも、失敗した~」
「ファミリーレストランって言うくらいなんだから」
「周り、ファミリーだらけなんだよね~」
そうして叔母は言葉が続かない
社長はカクテルのグラスに目を落としたまま言葉を待つ
「失敗した」と、言うのだから問題が起こった事は想像が付く
「泣いちゃったんだよね、千」
漸く、笑いながら話す叔母の声が少し震えている
「おうちに帰りたいって」
何故だろう
顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる少女の顔が浮かぶ
大粒の涙をぼろぼろ零して泣いている姿だ
それは今の叔母と同じだ
「でも、困っちゃってさ~」
「家族で暮らした家に帰りたいって泣くんだもん~」
俯く叔母の小さく窄めた肩が上下する
「帰れないよ~」
「だってもう、いないんだもん~」
えぐえぐ言うも笑いながら言葉を繋ぐ叔母
泣いているのは一目瞭然なのに、それでも隠そうとするのか
止め処なく溢れる涙を必死で拭っていく
「それで、どうした?」
お構いなしに社長が口を開く
吐露した以上、叔母は全てを話すべきだ
吐露された以上、自分は全てを聞くべきだ、と社長は考える
叔母は涙で化粧がでろでろになった顔を向ける
毎度の事だが社長はなんとも思わない
寧ろ、化粧等しない方が綺麗だと思う
少女と同じ、弁柄色の瞳で真っ直ぐに自分を見つめる
叔母の目線を受けて社長も瞬きせずに返す
「つれてったよ」
「もう別の家族がすんでる、元の家に」
軽蔑されてもいい
期待なんかさせない
夢だったかもなんて戻れるかもなんて有り得ない
少女はこれから一人で生きていく
姉夫婦の死から逃げられない、逃げられる訳がない
膝の上、固く握った拳が震える
以降、少女は姉夫婦の事を話さなくなった
以降、少女は泣く事を止めた
正しいかも、間違いかも分からない
でも自分は後悔していない
身動ぎもせず食う入るように社長を見つめる叔母は
彼の言葉を待っているようだ
肯定であろうと否定であろうと受け入れる覚悟はあるのだ
そんな叔母に社長が目を細めて言う
「良くやった」
褒めた訳じゃない
認めた訳じゃない
他の選択肢があったんなら教えてやってくれ
生憎、俺には分からない
褒められた訳じゃない
認められた訳じゃない
分かってる
分かってるけど叔母は声を上げて泣き出す
階下で鳴り響くご機嫌なダンスミュージック
叔母の声は傍らに座る社長以外、誰にも聞こえない