短編集 くらしの中で
みんな同じ気持ちなのかな
先日の句会で隣の席に座っておられた先生級の方が、ふと「毎日同じことをして過ぎていく」と呟かれた。
そのお隣の席の先生が「それが良いのよ。無事で同じ生活が送れることは幸せじゃない」と言われた。私もいつもそういうことを思いながら自問自答しているので、大いに共感する言葉だった。
このコロナ禍の状況で無事に同じ生活ができることは本当にありがたいと思わねばならない。
最近のことだが、SNSから個人的にラインでメールをするようになった50代後半の方が胃、心臓に痛みを感じて受診した所、食道癌ステージ4と診断された。それも一つ一つの臓器の検査を受けてその病気に辿り着き、入院治療開始までの待ち時間が長かった。
地方の総合病院では即入院、即治療開始が当たり前だと思っていたが、人口の多い東京ではそうもいかないのか。小さな町でも充分な医療機関があるわが町はとてもありがたいことだと感じた。
歩いて10分以内の場所にかかりつけの個人病院があり、自宅の裏には救急病院に指定されている総合病院がある。車で少し走ればもう一つの総合病院や個人病院の消化器内科や眼科もある。
私は四年前まで娘の家のある神戸に行き来し食事や洗濯などの世話をしていたが、家のすぐ近くにいつも服用している薬がもらえる個人病院がいくつかあったのは幸いだった。
そのことは有難いことなのだが、やはり地元のほうが安心できる。
都会は大きな病院がいくつもあるが受診までの道のりが長くかかる。
先ほどの友達は、滅多に病院には行かないが今回は!と言われていたので、突然癌の宣告に如何ほどのショックだっただろう。これまで人並み以上の健康体だっただけに猶更のことだ。
誰が、いつ、どんな状況になるかも知れない、というのが生きていることなのか。
私自身も歳を重ねる毎にその杞憂は大きくなるので、動作も細心の用心をし、少し気になる身体の症状があるとすぐに受診して確かめている。
若い時にもよく医者には行ったものだが、死と繫がることは全く考えていなかった。それよりも家庭内での鬱憤が多かったし、対人関係でもキリキリしていた気がする。
何の症状もなく突然、死と隣り合わせの病気になるのは仕方がないのだろうか。
今年は親しい友人の旦那様やご近所さんの一人もそのような状態になった。
看病している連れ合いも疲れが出て飛んだ大怪我をして長引いている。
年の瀬が押し迫った今、地味ながらも何事もなく毎日を過ごせているのは幸せと感じるべきなのだろう。
完
「続・くらしの中で」に続きます。
引き続きよろしくご笑覧いただければ幸いです。
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子