短編集 くらしの中で
病気になるということ
人はいつかは死ぬのだけれど、ひと昔は老衰が多かったように思うが、それも自分が幼い時から今に至るまでには変化してきた。
私の家系にはひどい病の死に目をみた経験はない。同居していた母方の祖母は私が小学生の高学年の時に危篤になり10日寝込んで自宅の座敷で静かに息を引き取ったことを覚えている。
当時は土葬で、小さな山の中腹に先祖の墓地があり、そこまで村人が担ぐ棺桶に家族が付いて上がった。
母には兄弟姉妹が沢山いたらしいが、私が知っているのは叔父二人と叔母二人で、その四人共静かに死を迎えた。多生の病気はあったのかもしれないが入院することもなく家で亡くなった。それも長寿で皆90歳を越えての死であった。
私の母も長寿で90歳を越えても呆けもせず、食事の時は別棟から私が作る食事を食べに来ていた。母も半年入院して時々目を覚ましてオモシロイことを言ったりしてほとんどは眠っていた。入院先の病院は私宅の丁度裏にあったので、一日に3、4回病院に行き覗いていた。その頃は完全看護になっていたので、私のすることといえば身体を拭くことぐらいだった。
一方夫の家系は血管系の病気が遺伝していたようだ。
義母はくも膜下出血をし、病院側の手術がまだうまくできなかったので、生存中は入院をさせてくれた。17年間人としての意識はなく、鴉のような声でカアカアと叫んでいた。
夫の兄も脳血管障害で亡くなり、数年おいて夫は脳梗塞で倒れた。
夫はかなり回復して自力で普通に歩くことができ、物をいうこともできたが、虚血性認知症が少しあって妄想や暴言などで私は14年間も苦しめられた。
ひと昔は結核と精神病は遺伝すると恐れられていたが、今は結核もほとんど消滅し、精神病は統合失調症と病名が変わり、薬で日常生活ができる人が多いようだ。
今は脳血管系と癌が現代病として一番恐れられている。
薬で回復する者もいるが若い人の癌の進行は速いと聞いている。それに癌の治療で抗癌剤と放射線の治療はとても苦しいらしい。
先日line友が突然食道癌ステージ4との知らせを受けた。
それまでは私が羨むほどの健康体で何十キロもツーリングをしていたので、本人もまさかそのような病気になるとは思っていなかったと思う。
50代後半で、私の夫が脳梗塞で倒れた年齢と同じだ。夫の場合は前兆が色々あった。主にめまいが二年ほど続き、職場でもあったらしい。
倒れてからの夫は今までの夫の姿ではなくなっていた。気性も荒くなり、次第に容貌も老人のような姿になっていた。友達とも疎遠になり、ひとりでパソコンの囲碁をして暮らしていた。
病とは人間を一変してしまう。
今は近々入院予定のline友のことが心配でやりきれない気持ちだ。
完
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子