父親殺し
私が父親を殺したのは、今から半世紀も前のことである。
その頃の私は心を病んでいた。
そのことを誰にも相談できず、悶々と日々過ごしていた。
ただ一人の理解者であった母親は、三年前に死んでいた。
私は一人っ子だった。
私は病的な自意識に悩まされていたが、その原因が父親にあると、憎んでいた。
私は生きることが苦しく、死にたくて仕方がなかった。
学校でも誰とも話さず、太宰治ばかりを貪る様に読んでいた。
高校三年の大学受験を控えた秋になっても、太宰の小説ばかりを読み続けていた。
そんな私に、隣の席の女の子が、
「何読んでいるの?」と聞いてきた。
女の子から初めて声をかけられた私は、赤くなって俯いてしまった。
女の子は身を乗り出してきて、本のタイトルを確認した。
「『人間失格』ね。ワタシも太宰治が大好きで、特に『人間失格』が好きなの」
女の子が嬉しそうに言った。
女の子が太宰治を知っていたことが意外だった。
女の子は、どちらかと言うと活発な感じで、太宰を読むタイプには思えなかった。
私達は以来、太宰の作品について語り合った。
いつの間にか、私と女の子は付き合い始めた。
女性と付き合うのは、生まれて初めてだった。
私はここ数年来悩み続けている自意識から、少し解放された気がした。
しかし受験が近づいているにもかかわらず、勉強もせず彼女にうつつを抜かす私に、父親が詰った。
この日を境に私と女の子は会うことを止めた。
そうすると、以前にもまして症状が悪化した。
学校にも行けなくなった私は、図書館で太宰を読むしかなかった。
太宰を読むことで、命をつないでいた。
この頃から父親に殺意を抱くようになった。
父親を殺すために金物屋で、ナタやノコギリを買った。
そして満月の夜、私は父親を殺した。
しばらく放心したように父親の死体を眺めた後、首を切断した。
血が滴り落ちる父親の頭を下げ、満月の夜道をさまよい歩いていた。
やがて山に登った私は、満月に向かい、
「ウオオオオオオオオオオーーーーーーーーー」と、狂ったように叫んだ。
その声はまるで、狼の鳴き声のように、夜の町に木霊した。