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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』前編(下)

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7、象の像と修道女





 言葉もなかった。呆然と立ち尽くす他なかった。

 あの化け物を前に、気丈に、勇敢に振る舞って見せた斉藤。
 怪物は消えた。その肉片は、不思議な力で蒸発した。
 だが斉藤の姿もなかった。

「小娘」の部屋から広がりゆく赤い血だまり。この沈黙。
彼の安否についての回答は、それだけで十分だった。

「そんな……」

 だが、そんな冒険家教授の肩を、バニラがポンと叩いた。

「動くよ。バリツ」

「……バニラ君?」一拍子遅れて答える。
「斉藤君が――」
「この世界はイレギュラーだよ」彼は淡々と語る。
「ただでさえ死ぬことによって出ろと言われている世界だ。まだ斉藤が本当に死んだとは限らない」

 バニラの群青の眼に光はなかった。いつもの通りだ。表情の変化といえば、眉間に若干の皺が寄っているくらいだろう。
彼が紡ぐ言葉の響きも、自分に言い聞かせる慰めでないことが明白だった。ただただ事実を先読みするかのような調子だった。

「それより見て」バニラに促され、そもそもこの部屋の中を見渡してすらいなかったことをようやく思い出した。

冒険家教授は言われるまま言葉に従い――そして眼を見張った。

それは、円卓の部屋とは全く異なる様相だった。
 中はかの部屋とは比べものにならないほど広く、左右に複数の長椅子が並んでいた。

第一印象はキリスト教の教会を想起させた。
中央の通路を突き抜けた40メートルほど先に――巨大な何かが祭られている。
しかしそれは、聖母でも、十字架でも、磔の聖人でもなかった。
象の頭を持つ、巨大な人間の像らしい。馬鹿でかい像だ。

「せっかくだ。まずはこの場所を調べてみよう」

 決して斉藤が消えたショックから立ち直ったわけではない。
 だがこの異様な光景を前にして、立ち止まっているわけにはいかなかった。まだ斉藤が本当に死んだとは限らない――バニラの推察も十分な説得力があるのだ。


それにしても、若くして元戦場カメラマンの経歴を持つバニラの恐ろしい順応性は、恐ろしくも頼もしかった。危機に際しての冷徹さは、斉藤の豪胆さにも勝らんばかりだ。

「そうだね――」

バリツは一息の後、姿勢を整えた。

 こうして二人の男は、ゆっくりと祭壇へ歩み寄る。
 石造りの床を踏みしめる度に、素足に冷たさが広がった。

 長椅子の群れを横切るようにそっと歩きながら、バリツは改めて周囲を観察する。

 礼拝堂と名付けられたこの場所――。
 内装は円卓の部屋と同じく、全面コンクリート製らしい。
全体的に質素なデザインは、プロテスタントのそれに近かったが、それにしても殺風景に思えた。形容しがたい重厚感は、カトリックのそれに似ていたが、やけに重苦しかった。

 そして、嫌でも目立つ、祭壇の象。

首から下は、仁王を思わせる巨大な人間の体躯だが、頭部だけは長い鼻と大きな耳を持つ象。即ち――「象人間」とでも呼ぶべき存在だ。
それは左右二本ずつの腕と、マンモスを思わせる一対の牙を有していた。遠目からも、今にも動き出しそうな存在感だ。 

「冒険家教授からみて、あれは何だと思う?」途中、バニラが訪ねてきた。「インドの神様の……ガネーシャっていうのに似てる気がするけれど」
「ふむ――」

バリツは思い当たる知識を組み合わせながら、考察する。
 彼がそこまで計算してくれていたのかはわからない。だが、ありがたいことだった。少なからず専門たる分野について知見を求められるならば、相応の活力は湧き出でるのだ。

 「私もはじめにそれが浮かんだけれど――」
太鼓腹に像の頭を持つ、インド神話の神ガネーシャ。財運や知恵、学力向上といった現世利益をもたらす存在として、現代においても根強い人気と信仰を誇るが――。

「それにしては、細部の意匠が奇妙だね」
「奇妙?」
「由来は諸説あるが、一般的にガネーシャは片方の象牙を失っている。だが、あの像は両方とも生えている。両手に斧や杖といった法具もないね」

「言われてみれば……それに、俺が知ってるガネーシャは、もうちょっとおっとりした雰囲気だね」
「善に連なる神であるからね」

 その内に、二人は象の前に到達する。

「善に連なる……って感じではないねえ」
 呟くバニラ。

その像を改めて観察し、バリツはその威容に息を呑む。

それは恐ろしい形相のまま、虚空に目を見張っていた。
 左右に二本ずつ広がる腕は、阿修羅を想起させた。その指先の骨格から筋肉に至るまで、今にも何かを捻り殺さんばかりの迫力だ。

皺が寄せられた眉間の下からは長い鼻が伸びるが、嫌になめらかなその先端は醜悪な蛭を思わせた。鼻の根元からは、太古のマンモスを思わせる、鋭く巨大な牙がせり上がっていた。その巨体の背後からは、頭足類を思わせる触手がいくつも曲がりくねりながら伸びていた。 

(若き日にラムおじさんと共に訪れたバチカンのラオコーン像。ナポリの考古学博物館のヘラクレス像。筋骨隆々の威容を誇るそれらですら、ここまでの迫力があっただろうか?)

――まるで、巨大な怪物が、そのまま石化しているかのようではないか?

「すごい迫力だねえ」
同じく見上げていたバニラが口を切る。
「ああ。実際、このような邪悪な意匠の像は、これまで見たことがない。インド神話の系列で考えるならば、殺戮と暴虐の女神、カーリーに近いものがあるが――そもそものデザインがやはり全く異なる」
「他の神話体系でも心当たりはないかい?」
「うーむ、強いて言うなら、旧約聖書におけるべヒーモスだが……どうもしっくりこない」
「聖書はちょっと目を通したことあるけど、あれも姿が諸説あるもんね」

バリツはそもそもこの場所自体に違和感を覚えていた。
キリストの教会を思わせるが、祭られている対象は、どちらかといえばインドの神性に近い。だが、それもなお思い当たるものとは似て非なる。冒険家教授からすれば、少なからずちぐはぐな話だ。

「ひょっとすると――我々も知らない、独自の信仰体系によるものかもしれない。何か、おぞましい信仰の……」
「その線は濃いだろうね」
 その言葉に、何か恐ろしい含みがある気がして、バニラを見遣る。だがやはり彼はいつも通りだ。
「とにかく、この部屋はあの二つの部屋と違って目立つ脅威はなさそうだね」
「うむ。少なくとも今のところは――」

「――うふふ」

 突然の笑い声に、二人はバッと振り向いた。
 先ほど通りかかったときは、誰もいなかったはずの長椅子。
 自分たちからそう離れていないその一角に――黒衣を纏った女性がいるではないか。

「いつの間に?」困惑し、身構えるバリツの傍らで、バニラが呟く。
「すぐに襲いかかってくる雰囲気ではないね」
「そうかね?」
「そうしたいなら俺たちはとっくに死んでる」

 相変わらずの状況判断能力だ。
 バリツは改めて、その者を見遣る。
 
 修道女特有の頭巾――ウィンプルと呼ばれるものだ――から覗く、端正な顔立ち。微笑みの形をなす艶やかな唇。