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亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
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言語学から見る小説創作(おしゃべりさんのひとり言 その23)

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言語学から見る小説創作



「・・・つれた!」
「え! もう、釣れたの!? ちょっと待ってね」
僕は慌てて竿を置いて、彼女の元に駆けつけた。
彼女は竿を立てたまま、地にしゃがみ込んで、何やら糸を解いている。
魚を針から外してやろう思ったのに、辺りを見ても魚の姿はない。
「魚は?」
と僕が聞くと、
「さかな?」
「今、『もう、釣れた!』って、言ったでしょ」
「ちがう。『もつれた!』って言ったの」

こんな聞き間違いってあるでしょ。
勘違いって、こんなことから起こりうるし、気付かないまま、事実と違うって疑問を持ち続けることも。

小学校の国語の教科書に『スーホの白い馬』という物語が載ってた。
授業中、順番に音読させられたんだけど、ある生徒が、『馬のきず口からはちが・・・』と言う一節を、『馬の傷口から蜂が・・・』と読んだ。
正しくは、『馬の傷口からは血が・・・』だったのだけど、先生、気付かずにそのまま行っちゃった。
何人かは、すぐに読み間違いに気付いたけど、音読が続く中、気になりつつも誰もそれを訂正しなかった。
そしたら、後でクラスの中に、「出てきた蜂は、何だったんだろう」って話してる子もいた。

日本語ってどこで切るかによって、全然違う文章になるのは、もう誰でも知ってる当たり前のこと。
「ここではきものをお脱ぎください」は、履物なのか着物なのか?

英語では、こんなことはあり得ない。
単語で区切るから、前後の単語が混じることは、ほぼ無い。
でも、アメリカ人と野球の話をしてた時、日本ハムファイターズの話でニヤニヤしだした。
何が面白いのかと聞くと、
「ニッポン・ハムファイターズ」が笑えるらしい。
「ニッポンハム・ファイターズ」は大丈夫だというので、彼がハムの格好をしたサムライ戦士を、イメージしてたんだと解った。

またある外国人は、新幹線で東京から京都に向かう際に、僕の話した英語に噴き出した。
この新幹線で、京都に向うという説明をしただけなのに、「For Kyoto From Tokyo」と言うべき部分をうっかり「From Tokyo to Kyoto」って言っちゃったら、「フロム トキョトキョト」て、同じ音の繰り返しに爆笑したみたい。


僕は最近、文章を書くのが楽しくって、仕方ない。
小説を書くようになったからだ。
半世紀を生きて来て、こんなことになるなんて想像していなかった。

書くと言っても、ペンや筆を走らせるわけじゃない。
パソコンに入力していくだけなんだけど、話すスピードで入力出来ると、どんどん創作は進む。
これを鉛筆で書いてたら、間違えて書き直して、違う文章を挿入して書き直して・・・こりゃ大変だろう。
小学校の時、修学旅行記を、原稿用紙100枚に書いたことを思い出す。
それで、ペンダコが水膨れになった記憶がある。

でも僕の拙(つたな)い文章で書いた小説なので、自分で読み返しても、拙(まず)い箇所に気が付く。
都度修正はするが、読者様には「申し訳ございません。m(_ _)m」

出来る限り、スムーズな読みやすい文書にしようとすると、セリフばかりで繋いじゃう癖が出る。
他の作家さんはどうかなって確認すると、結構、セリフで繋ぐ場面て多いですね。
そう思って、プロはどうかなって、いろんな本を読み返してみたら、あることに気付いた。
日本人の小説は、セリフが多い。
外国人の小説は、セリフの合間の状況描写が多い。て事に。

このことは常識か、僕のたまたまの勘違いか判りませんけど、ある仮説を立てました。

僕は、大学時代に『比較言語学』を専攻していたので、いくつかの国の言葉を知っています。
文法の勉強をもうちょっと突っ込んだような、『句構造規則』と言うのを学んでいて、それは何かと簡単に言うと、文章中の単語の繋がりの法則を見極めるって勉強だ。
つまり、その言語の語順の法則さえ掴んだら、あとは単語と発音を覚えれば、簡単にその言語をマスター出来るんです。
日本語はこういう順番だけど、英語は主語の後に動詞が来るのか、とか。スペイン語は名詞の後に形容詞が来るけど、これは英語と逆だな。とか、中国語は英語と文法が似てるけど、形容詞は日本語と同じ位置に来るんだな、なんてことを分析して覚えていった。
マレー語やインドネシア語なんか、語順はいい加減でも大体は通じる。その代わり、これだけ曖昧な規則だと、ユルユル過ぎて勘違いもいっぱい発生する。

しっかりした言語の規則ほど、ガチガチに決まり事が多くなるんです。
英語の動詞なんかは、基本形の他は、三単現のSが付くくらいしか活用変化しないけど、スペイン語は主語によって、6種類にも活用変化する。
覚えるのが大変だ。さらに過去形も6種類あるから。
もっと基礎を研究しようとして、ラテン語に手を出したこともあったけど、動詞活用の多さに投げ出してしまった経緯もある。
あれは固すぎる言語だった。
でも日本語も、動詞の五段活用とか、国語で勉強したことあるでしょ。同じことだよ。
このおかげで、主語が無くっても、動詞の形だけで、誰の行動か判ったりもする。
これって、小説を書く時に便利だと思う。

状況描写を細かくしなくても、話の流れで誰が行動してるか、理解出来るってことだよね。
英語じゃ難しいだろな。
さらに英語の一人称は、『I(アイ)』だけだろ。
これに対して日本語で一人称は、『私(わたくし)』の他に『わたし、あたし、ぼく、ぼくちゃん、おれ、わし、拙者、吾輩、小生、ミー』なんてのも。
これだけで大体その人が、どんな人物なのか想像がつくよな。
方言なんかでも、人格が表現できちゃう。

だから翻訳された英語の小説には、やたら状況描写が入っていて読みづらい。
日本語なら、セリフだけで繋いでも、結構大丈夫、ってことだったのかと思う。
僕が小説を書くのを好きになれたのは、やわらかな日本語のおかげなのだ。


     つづく