無の空間
子供の頃から孤独には慣れているつもりだが、親が寄り添って面倒をみていたわけだから本当の孤独とは言えなかった。
三十前に夫が家族となり、子供ができると賑やかな暮らしとなる。
子育てとはそういうものかもしれないが、決して絵に描いたような幸せな家庭とは当時は思っていなかった。
私は小学生のころから何となく描いた理想の家族構成が成り立っていた。
それは平凡な両親と可愛い女の子二人、なぜかそんな家族絵図。
事実家族構成はそれを満たしたけれど、自分の描いた絵の中の幸せはなかったような気がする。
夫は職場から直行する碁会所で夜遅くまで碁を打って家に帰る。八時に寝かす習慣の子供たちが寝てから帰宅する夫に私は常時イライラしていた。
幼児の頃、子供らはよく喧嘩をした。
そのたびに金切り声を上げて怒りまくる私だったが、子供心に母親を鬼かと思っていたと後々言われたことがある。
月日は過ぎて、夫が停年間近に脳梗塞で倒れ、これがまた虎のような怖い状態になり、以来私は逃げ惑う日々を十数年過ごすことになる。
その傍ら年老いた実母がスープの冷めない別棟に住んでいて、病院へ付き添ったりお使いに行ったりすることはむしろ夫から身を守るには良い存在だった。
両手に重荷を抱えた10年あまりだったが、母は100まで生きて欲しいとの願いも虚しく96歳で安らかな眠りについた。
母亡きあと、夫は益々狂暴になり私には夫を恐れながらの十数年だったが、これも三度目の脳梗塞の再発で還らぬ人となった。
それ以後は自宅に居るのは私一人になり、他所に住む二人の娘は自立した強い大人に成長していた。
孫も産まれ私の一番の宝物として今も見守っている。
そして、いま、世界はコロナの時代に突入。
私は三年前に激しい腰痛を患ってから今までのように娘の家へ度々出かけることはなくなっていたが、コロナはそんなときにやってきたのだ。
先方からも我家へ来られなくなった。
私は他人からの少しばかりの友情とバーチャルの温かい人達との繋がりの中で自分を維持しているが、夜が来れば独りきりなので、自分の現実の生活はいわば無の空間の中にいるともいえる気がする。
幸いなことにまだ周りの人たちはほとんどが健在なので私はその人達との交流という有難さをもらっているのだ。
ときどき、この人達が皆いなくなったらどうなるんだろうと考えることがある。
本当の無の中に自分が置かれたらということだ。
親族のほとんどがあの世に行き、親しかった人の中にもいなくなった者もいる。
受話器を持ち上げれば、懐かしい声が返って来ていた友人や恩師のことだ。
順番待ちで電車に乗ってさよならするように、次々二度と会えない国へと旅立っていく。
あの世とやらは二度と会えないところだと実感したのはかなり遅くなってからだ。
削除した文字が戻らないと同じなのだ。