電脳マーメイド
42
目が覚めたのは昼頃だった。
彼はベッドの隅の方で小さくなって眠っている。彼は一体何時まで起きていたのだろう。おそらく明け方まで飲んでいたの違いない。彼は朝が弱い。なのに、明け方の景色が好きなのだ。
そっと身を起こして、彼の頬をつついてみる。身じろぎすることもなく、熟睡している。その姿を見てたまらなく愛おしくなり、頬にそっとキスをした。
しばらくは、このまま寝かしておいてあげよう――
起こさないようにベッドを出て、自分のためにコーヒーの準備をする。カーテンは閉めたままにしておいた。
椅子を引いて掛け、彼の寝顔を見ていると、とても幸せな気分になった。
もし二人が結婚できたなら、こんな幸せを毎日感じられるんだろうか。それとも時間が不規則な彼のことだから、しょっちゅう喧嘩してしまうのだろうか。
それでも私は、彼が好きだ。端末の中の存在だった私は、一旦インプットされた情報は、消去されない限り持続する。だが、エレノアの生体脳の中でそれがどのようになるのかまでは私は知らない。
私にも、怒りの感情はあるのだろうか――
彼が寝返りを打つ。
こんな幸せな日々が、ずっと続けばいいな――
彼が起きたのは1時過ぎだった。
「ああ、すっかり寝過ぎてしまいました」
「あんまり気持ちよさそうに寝てたので、起こすのも悪いと思って」
私はカーテンを引き開けながら言う。
「気を遣わせてしまいましたね。すみません」
「いいんですよ。私が無理言ってここで寝させてもらったんですから」
「食事は? 朝はもう食べましたか?」
「いいえ。私も1時間ほど前に起きたばかりです」
私は正直に言ったが、彼がそれを信じたのかどうかは分からない。「コーヒー、飲みます?」
「ああ。お願いします。いつもより甘めで」
ついでに私の分も二杯目を入れる。
「お昼、どうしましょうか」
彼が訊く。「この時間だと、いつもの食堂は閉まってるし、一軒だけ食堂はあるけど、そこはあんまり美味しくないですしね」
「私は何でもいいですよ」
「じゃあ、これ飲んだらコンビニでも行きますか」
「はい」
コーヒーを飲んだ後、顔を洗い、着替えて外に出る。真昼の陽射しはねっとりと絡みつくようで、汗が噴き出してくる。
コンビニで弁当を買い、彼の部屋に戻って食べる。
お腹が満たされるとまた眠くなってくる。ここで寝てしまうと、また夜に眠れなくなってしまう。彼も同じようで、コンピュータの画面をぼんやりと眺めるばかりで、手がいっこうに動かない。
「あー。どうしても書けない。眠くて仕方ない」
彼が言う。「1時間ほど仮眠します。時間が来たら起こしてもらえますか?」
「実は……」
私も言う。「私もすごく眠いんです」
「書けない時は、眠るのが一番。じゃあ、おやすみなさい」
彼はさっさと布団に潜り込んでしまった。
私はしばらくどうしたものかと思案していたが、彼が寝息を立て始めてから、そっと布団に忍び込んだ。
彼の背に耳をあてると、確かな鼓動が聞こえてくる。それを子守唄代わりに、私も眠りに落ちて行った。
二人とも、たっぷり二時間は眠ってしまった。私は眠っている間に彼に手を回し、まるでぬいぐるみでも抱いているかのような姿勢で寝ていた。
彼が目覚めた時、私も目が覚めてしまったが、彼が動かないのをいいことに、私は腕を解かないままでいた。彼はそのままの姿勢で私に声をかける。
「エレノアさん?」
「何ですか?」
私は応える。
「ちょっと――」
「しばらく、このままでいさせてください」
彼は無下に腕を解こうとはせず、ただじっとしているままだった。私はその広い背中に顔を押し当てる。昼間に汗をかいたせいで、濃密か彼の匂いがした。
彼がため息をつくのが分かる。
呼吸の音、心臓が脈打つ音、そして彼の匂いが、甘やかなハーモニーとなって私を包んだ。