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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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 建物の外へ出ると、昼の名残の熱気に襲われる。
 私は彼のマンションのある路地へと歩き始めた。
 とにかく、会いたいから。
 それしかないから。
 近くのコンビニに入る。
 ここにいたら、絶対に彼はこの前を通る。
 それか、この店に入ってくる。
 書籍コーナーで、外を気にしながら待つ。
 彼が通るのを。
 もうすぐ。たぶん、もうすぐ。
 彼に会ったら、どんな風に声をかけたらいいのだろう。
 どんな風に近づいたらいいのだろう。
 そんなことを、延々考えながら。
 外はもう陽がかなり傾き、薄暗くなってきている。
 今日は、彼は来ないのだろうか。
 そう思った時、目の前のガラス越しに、捜し求めていた姿を認める。
 背筋を伸ばし、無理に涙を|堪《こら》えようとしているかのように少し上を向いて歩く彼を。
 何も買わないのも悪いので、ミントのタブレットだけを求めて、外に出る。
 夕刻の渋滞が大通りに見えている。
 その手前を行く、彼の後ろ姿。
 帰宅を急ぐ人々の中、私だけが立ち尽くしている。
 動けないまま。
 追いかけて行って声をかけようか、それとも戻って来るのを待とうか……
 でも、真正面から話しかけたら――
 さして重くもないキャリーケースを引きずるように、数歩進む。
 そしてまた、立ち止まる。
 逡巡している間に、彼が戻ってくる。
 少しずつ、距離が縮まる。
 彼は私を見ていない。
 今しかない。とにかく――
「あの……」
 彼が私を見る。
 初めて、私を。
 でもその顔は、怪訝というよりも不機嫌なのを露わにしている。
 日本語で話しかけられたときの顔。日本人を認めた時の。
 彼は、日本人が好きじゃない。
 道を聞かれるか何かだと思っているはず。
 そうじゃない、今それをやったらお終い――
「あの、すみません」
 勇気を振り絞る。
 彼は、こちらが何か言うのを待っている。あるいはこのまま流して、去ろうとしている。
「|遠森《とおもり》|沙光《さこう》先生ですよね」
 私は彼の本名ではなく筆名の方を言った。
 彼は私を見つめ返す。
「どうして、それを?」
 人違いだと言われたらどうしようかと思ったけど、彼はそれを否定しなかった。
「あの……私……」
「私は個人データを晒していない」
「……そうです、よね……」
 厳しい目つきで私を見つめ返す。
 そんな目で、私を見ないで――
「私は、サインなど書けないですよ」
「ええ、分かっています」
「では、なぜ?」
「……ダメ、でしょうか……」
「何がです?」
「お会いしたかったというだけでは……。理由にはならないでしょうか……」
「……よく分かりませんが」
「上手く、言えなくて済みません……」
 私は俯いてしまう。
 彼はこういう人だと知っている。でも、本当はそうじゃない。彼は、演じているだけ。そうするように、そうしなければならないような生き方を強制されてきただけ。
「その荷物」
 彼が私の足元を見る。持ち手を握り締めたままのキャリーケースを。
「済みません。空港から……」
「まさか、真っ直ぐにここまで?」
「……はい」
「バンコクは、ラッシュが激しいですよ。それにここは郊外だから、|余所者《よそもの》が遅くまでいていい場所ではない」
「分かっています」
「じゃあ、早く宿に行った方がいい」
 私は汗に濡れた拳を握り締める。
「お願いです!」
 今しかない! 今しかないんだから!
 私は思いっきり強く頭を下げた。「お邪魔させてください!」
「え?」
「お願いします! 先生のお部屋にお邪魔させてください!」
「え……いやいや。それはないでしょう。とにかく、頭を上げてください」
「お願いします!」
「頭を――」
 彼が言いかけるのを、私は遮る。
「泊るところはありません。最初から、そのつもりで来ました!」
 顔を上げ、彼の目を直視する。
 明らかに戸惑っている眼。
「そのつもりって言われても……」
 彼の手を握る。
「お願いですから」
「……どうせ、私のマンションも知っているんでしょう」
 人の視線を気にしてか、彼が言う。「そこまで歩きましょう。ここでは話しづらい」
 そうして、彼と私は歩き出した。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏