電脳マーメイド
1
彼に会わなければ――
薄暗い地下のような空間の遠くに、タクシー乗り場が見える。
そちらへと向かいかけて、私は現地のお金を持っていないのに気づいた。
ビル内に引き返して、とりあえず財布に入っていた200ユーロを両替した。あとはカードがあるから、なんとかなるだろう。
彼の住所を思い出そうとする。
何度も見ていたはずなのに、知っていたはずなのに、思い出せない。
でも、場所だけは分かる。
私はタクシーを諦めて、エアポートリンクの駅へと下った。
混み合った電車を途中で地下鉄に乗り換える。そうして終点の一つ手前の駅まで。自動の車内音声が停車駅を告げる。
どんどん近づいてゆく。
ちょっと変わった名前の駅、そこで私は降りた。
そう、戻って来た。
ずいぶんと遠くから来てしまったけど、ついに彼の住む街に。彼と、私の街に。
地上に出ると、途端に眩しい陽射しに晒されて、私は帽子のつばを目深に下ろす。
目の前には、大きな百貨店がある。
その先の路地の奥、そこに彼の住むマンションがあるはず。
一旦、そちらへ向かおうとする。
そして、思いとどまった。
「彼は――」
そう、彼は、この私が、私だと気づかない。絶対に信じてもらえっこない。
だって、彼の思っているライラは、この私じゃない。
私は、つい先日までエレノアだった女性(ひと)。
彼にとっては、見ず知らずの。
勢いでここまで来てしまったけれど、これからどうしようかと途方に暮れてしまう。
とにかく、しばらく時間を潰そう。
うだるような暑さを避けようと、私は百貨店の中に入った。
外とは打って変わって建物内は涼しい。むしろ少し寒いくらいに冷房が効いている。
最上階に上がり、フードコートへ。
たしか――
いつも彼は、どうしていただろうか。
閑散時なので人も少ない。
私は利用者の動向を見る。
でも、よく分からない。
仕方なくキャッシュオンリーと書かれたカウンターで飲み物を購入する。
適当な席に着き、それに口をつける。
冷たくて甘い。
のぼせたような思考を引き締めてくれる。
少し寒いほどの空調は心地いいけど、体の方はそれに反して軋むような痛みを感じている。
これから、どうするか。
彼にいきなり声をかけても、不審に思われるだけだろう。
でも彼に近づきたい。
一緒にいたい。
そのために、ここまで来たのだから。
なら、どうするか。
とにかく彼に接近すること、そして私がいたあの部屋に帰ること。
単独ではマンションのセキュリティは通過できない。
彼の許可がなければ。
私が居住契約すればいいのだけど、前日までに申し出ないといけなかったはず。
今日申し込んで明日に彼に会いに行く。
それが一番安全で確実な方法だけど……
どうしても会いたい。今すぐにでも。
あれこれと考えを巡らせているうちに午後5時を過ぎてしまっていた。
私は席を立ち、フードコートを後にする。
いつの間にか家族連れなどで、結構な人出になっていることに驚いた。
みんな楽しそう。
笑っている。
私も――
彼と――