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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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29


 ワット・サケットからはトゥクトゥクに乗った。
 彼が運賃の交渉をして、70バーツと決まった。
「トゥクトゥクは事前交渉制だし、一人で乗るには割高なので、これまで乗ったことがなかったんですよ。ずっと乗りたかったんですけどね」
 そう言う彼の表情は少年のように輝いていた。
「面白い音がしますね」
「それが、トゥクトゥクの語源らしいです」
 次に目指すのはワット・ポー。寝釈迦仏で有名なお寺なんだそうだ。10分ほどでワット・ポーに到着する。白い塀の上からも屋根飾りが快晴の陽光を受けて金色に輝いているのが見える。
「ここが、今日巡る中で最大のお寺ですよ」
「凄いですね……。すごく綺麗……」
「タイの人々の仏教に対する思いが集結しているようでしょう?」
 百バーツで拝観券を買い、境内に入る。有名なお寺だけあって、人が多い。それでも空間に余裕があるせいか、混雑しているようには見えない。
 一番大きなお堂の前で靴を脱いで、備え付けの袋に入れる。堂内は土足厳禁なのだ。火照った体に大理石の冷たい感触が心地よい。天井が高いせいで、お堂の中は涼しかった。
 入った所がいきなり巨大な仏陀の頭部だった。やはり、端末のレンズを通してより、直接に見る方が迫力がある。本当に、人間には色んな感覚があるのだと改めて感心してしまう。
 お堂の中央部に寝釈迦仏が安置され、その周りを半時計回りに巡るようになっている。巨大な仏像ばかりに目が行きがちだが、壁面も緻密な装飾で彩られ、建物全体が芸術品と言っても過言ではない。
「こういうの、好きですか?」
 壁面の図柄を眺めている私に、彼が訊く。
「ええ。このお堂の全部に絵を描くって、どんなだろうと思って」
「宗教は時に人を残酷にもしますが、最高の芸術の源でもありますね」
「この絵にも、何か意味があるんでしょうか」
「あるのでしょうけど、私には分からないです。少しだけ分かる部分はありますけどね。ほんの少しですよ」
 寝釈迦仏の足の部分から背中の方へと回ると、台の上に小皿が幾つもあった。彼はお金を箱に入れ、小鉢を二つ取った。中には小銭がたくさん入っていた。彼は小鉢の一つを私に手渡す。
「これは……」
 堂内に金属は触れあう音がしている。見ると、仏像の背中とは反対側の壁沿いに、器がずらりと並んでいた。人々はそこに、小鉢から小銭を落とし込んでゆく。
 そう言えば、彼も前にやってたな――
 私は彼と並んで小銭を鉢に落として行った。
「正面でこれをやらないことに、意味があると思いませんか?」
 彼が言った。
「そうですね」
「お釈迦様の見ていないところで徳を積むということ、この国の国民性が窺われますよね」
「微笑みの国と言われるわけですね」
「べつにお釈迦様に限らず、人の見ていないところで善行をする。これ見よがしな善行には全くないとは言えないですが、あまり褒められたものではないのでしょうね」
 小銭を全部入れ終わったところが順路の終点だった。でももう一度最初から見るのは構わないけれど、私たちはそのままお堂を後にした。広大な伽藍には他にも見るものがたくさんある。仏塔が並んだ広場や、本堂よりは小さいが仏像を安置したお堂、黄金の仏像がならんだ回廊など、見ていて飽きが来ない
 私たちは一つのお堂で他のタイ人がやっているように正座してお祈りをした。私はこのまま彼とずっといられますようにと。彼はいったい何を願ったのだろう。ひょっとしたら、彼のことだから願い事など何もしていないということもある。なんだか知るのが恐ろしくて、この事について彼に訊ねはしなかった。
 五基の巨大な塔がある空間は圧巻だった。それぞれ色分けされたタイルで彩色されているが、その意味は彼にも分らないのだそうだ。きっと何か深淵な意味があるのだろうということだった。
「写真で見るのと実物では随分と印象が違うんですね」
 私は感嘆して言った。
「カメラは前にあるものしか写せませんからね。でも人間の目は横方向だけでも200度以上の視界があります。写真ではどうしても、その拡がりを捉えられないのです。たとえパノラマ写真であってもね」
「風や陽射しの暖かさもですね」
「そうです。そう言った五感の全てで人は物事をとらえ、記憶に残すのです」
 ワット・ポーを出た時はすでに昼を過ぎていたが、渡し場の前に食堂があり、遅い昼食を摂った。そこで私は初めてカオマンガイを食べた。辛いものが多いタイ料理の中で、とても優しい味わいにうっとりとする。私は蒸し鶏の、彼は揚げたもののカオマンガイを注文し、鶏肉は二人で交換し合った。一緒についてくる鶏出汁のスープもあっさりとしていて美味しかった。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏