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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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28


「せっかくバンコクにいるのですから、少し観光してみましょうか」
 イミグレーションに行った翌日の夕食時、彼は言った。
「観光ですか?」
「エレノアさんも、ただ部屋に引きこもっているだけでは退屈でしょう」
「私は、そうでもないですけど」
「私も、たまには外に出ないといけませんからね」
「はあ」
「どこか行きたい所とかはありますか?」
「いえ、特に」
「あなたはまだ若い。もっと欲を出していいんですよ」
「私、本当によく分かりませんから」
「では、お寺巡りとかはどうでしょう」
「あ、それはいいですね」
「じゃあ、明日はお寺巡りをしましょうか」
「はい」
 そして翌日、お昼は外で食べることにして十時前にマンションを出た。またバスに乗って、今度はプラトゥーナムという所まで行くのだそうだ。今日のバスは冷房車で、座席はすでに埋まっていて、立っている人が少しだけいる。乗った時は涼しくて良かったけれど、だんだんと肌寒くなってきた。何もこんなに冷房を効かさなくたっていいのに。彼が羽織るものを持っていた方がいいと言った意味が解った。
「プラトゥーナムは水門という意味なんですよ」
「そうなんですか。それにしても、随分人が多いですね」
「ここにも市場がありますからね。衣料品が中心で、安いので国外からも仕入れにくるそうです。行ってみたいですか?」
「いえ、いいです。私、あんまり人混みは……」
「まあ、行きたくなったら言って下さい。一人だと迷子になります」
 バスを降りると歩道は人だらけだった。橋の袂で脇へ入ると、船乗り場があった。
「これから運河ボートに乗ります。水上からバンコクの裏町を眺めるのも面白いですよ。渋滞もないですしね」
 船乗り場に着いたとき、ちょうど船がやって来た。結構人が乗っている。だが、着くと同時に大勢の人が降りてきた。
「これは、ここまでの船です。全部、一旦ここで乗り換えるようになっているんですよ。おそらく、昔水門があった頃の名残なんでしょうね」
 お客を下ろした船は、そのまま西の方へ向かって行って停まった。
 続いて空の船がやって来、他の人たちと共に乗り込む。全員乗ってしまうと、ほどなく船は動き出した。
 船べりを歩いて係の人が切符を売りに来る。揺れる船上でいとも軽々と移動しているさまは、さすがプロだと感嘆せずにはいられない。
 彼が二人分の切符を買うと、係の人は船尾に向かって移動した。
 その時、ちょうど向こう側から別の船がやって来た。船には壁はなく、透明なビニールがたたまれているだけだ。彼はそのビニールを掴むと、前後の人がやっているように上へ持ち上げた。
 すれ違いざまに船は大きく揺れ、水しぶきが上がる。ビニールはそれをよけるために据えられているのだ。もし引き上げるのを怠れば、私たちはずぶ濡れになってしまう。運河の水は汚く、あちこちにゴミが浮いていて、しかも嫌な臭いが少しした。
 彼が言っていたように、運河沿いの家々は道路沿いとはまた違っていた。昔のバンコクそのままのような古い家並みのなかを運河ボートは進んでゆく。途中、タイ国鉄の線路の下をくぐるとき、ちょうど鉄橋の上を列車が通過していった。
 運河沿いの町並みは、バンコクの下町のようで見ていて楽しい。幾つかの船着き場に寄った後、彼が左上方を指さした。
「あれがワット・サケットですよ。今からあそこに行くんです」
 家並みの間から、金色に輝く塔が顔をのぞかせていた。間もなく船は終点に着き、それほど多くない乗客と共に降りた。
 船着き場の近くには飲み物や食べ物、花を売る屋台があったが、橋を渡った先はただの住宅街で、扉やタンスなど、木材を加工する小工場が並んでいた。この辺りまでくると、ワット・サケットというお寺が道路わきに聳えて見えた。
 門をくぐって少し行くと拝観チケットを売る建物があり、そこで一人50バーツを支払う。そこからは山頂にあるお寺まで延々階段を昇らねばならない。
「ここはバンコクで一番高い所なんですが、この山は人の手で造られたものなんですよ」
 彼が説明してくれる。階段はコンクリートで舗装されているから、歩きにくいことはない。ただ、緑が濃く影を落とし、とても人が造った山だとは思えなかった。森に覆われた下半分を抜けると市街地の展望が開けた。壁は白く塗られ、天空への道のようにさえ見える。階段はまださらに続いている。涼やかな風鈴の音が上方から降ってくると、間もなく頂上らしかった。
 そしてようやくお寺に着いた。見晴らしがいい分、風が強い。熱いバンコクにあって、ここは強風のために涼しい。いったいこの山はどれくらいの高さなのか、ずっと遠くまで見晴らしが利いた。
 金色の仏像があり、そこで線香とロウソクをお供えする。回廊式の建物を半分ほどゆくと、売店があった。
 アイスキャンディを買って二人で食べる。
 実はこれでお終いなのではなく、さらに上へ行けるようだった。狭い階段を昇ると、そこは屋上だった。
 さっきよりも風が強い。360度の見晴らしは爽快そのものだ。遠くの高層ビル群も良く見える。
 あまりにも景色が良すぎて、ずっといたい気持ちだった。
 でも、これが今日のお寺巡りの一社目。デートはまだ始まったばかりなのだった。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏