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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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23


 朝、少しだけ寝坊した。それでも7時過ぎ。彼が食事に行くのは7時半ごろだ。
 私は顔を洗い、歯を磨く。髪を梳(と)かしつけ、少しだけ化粧をした。自分で化粧をするのは初めてだったけど、エレノアの体はしっかりとその手順を覚えていてくれた。
 昨夜、彼は何時に寝たのだろう――
 もしまだ寝ているのなら電話で起こすのもどうかと思い、SNSでメッセージを送る。返信はすぐに来た。
 私は喜んで彼の部屋に向かう。
 扉をノックすると、まだ少し髪が乱れたままの彼が顔を出した。
「おはようございます、健一朗さん」
「おはよう。よく眠れましたか?」
「はい、おかげさまで」
 中へと通されながら、私は言った。
「じゃあ、食事に出かけましょうか。お腹は減っていますか?」
「はい、少し」
「もう少し後の方がいいですか?」
「いえ、まだ体の方がちゃんと目覚めていないだけかも知れません」
 コンピュータの電源は既に入っている。つまり、彼は私よりも早く起きていたに違いない。
 曇り空だけど、気温だけはしっかりと高い。にもかかわらず彼はエアコンをつけていない。角部屋なため、両方の窓を開け放せば風が通る。それに、彼はだいたい31度くらいになるまでエアコンを使わないことを私は知っている。
 二人でエレベーターに乗り、一階に降りる。
 セキュリティのおじさんに挨拶をして道路へ出た。
 昨日と同じローカルレストランだが、トレイに並んだおかず類の種類が異なっている。前に二、三人ほど並んでいることから、ここが人気店だということが知れる。
 店の中はすでに満席に近かった。だからテイクアウトにする。二人分注文しても90バーツだ。自炊より屋台やローカル食堂利用の方が安いと彼が書いているとおりだ。
 マンションに帰って、彼は何も言わずに私を部屋に招いてくれた。実のところ、自分の部屋へ戻るよう諭されるのではないかと戦々恐々だった。でも、彼はそんなことはしなかった。昨夜使ったグラスは綺麗に洗われて伏せてある。彼は二つのグラスそれぞれに冷たい水を注いだ。そして窓を閉めてエアコンのスイッチを入れる。
 お弁当のような発泡スチロールの容器に、ご飯とおかずが溢れんばかりに詰まっている。美味しそうな匂いが食欲を刺激し、思わずお腹が鳴ってしまった。
 今朝のおかずも初めて食べるものだったが、味はとても美味しかった。彼もそうで、食べている間とても幸せそうな表情をしている。
 食後、私はコーヒーを入れる。彼は「ありがとう」と言ってくれた。
 彼は、作業への取っ掛かりは遅い方だ。ゆっくりとコーヒーを飲みつつ、コンピュータのディスプレイを睨んでいる。そういう時の彼は、全てを拒絶しているかのような難しい表情をしている。
 出てゆくよう言われないだけ、有難い。
 彼は、私がここにいることを暗黙の裡に認めてくれている。さもなくば、食事を終えて早々に追い出されてしまうはず。
 時々思いついたように、彼は私の方を見るけれど、そういう時の彼の表情は厳しくはけっしてなかった。
「ずっとそうしていて、退屈ではないですか?」
 しばらくして、彼は言った。
「いいえ、全然」
 私は応える。
「変わった人だ。もしよければ、棚にある本を読んでもいいですよ。タイ語ですが」
「いえ、いいです。私、こうしていたいんです。ひょっとして、お邪魔でしょうか」
「いや、そういう訳じゃないですが。ただ座っているだけでは退屈しないかと思って」
「私のことなら、大丈夫です。――あの、もう一杯コーヒーを飲みますか?」
「ああ、貰います。カップは、さっきのを使って下さい」
「分かりました」
 そうしてまた、私は二人分のコーヒーを入れる。私のには砂糖とミルクをたっぷり、そして彼のはブラックで。
 彼は私にお礼を言うと、再びディスプレイに向き直った。
 難しい顔をしているかと思えば、時折思いついたようにキーを叩く。私からは見えないが、進むときは難なく数行も文字が打ち出されていた。このところ調子の悪い彼にしては、まずまず順調な方だった。
「今日は、金曜日でしたね」
 彼が視線を画面に向けたまま訊く。
「はい、金曜日です」
「明日、少し出かけましょうか」
「え?」
「何か、都合が悪いですか?」
「い、いえ! そんなことありません!」
「そうですか、良かった」
 それだけ言うと、彼はまたキーを叩き始めた。
 デートなのかな? デートのお誘いなのかな――?
 それまでの葛藤はどこへやら、私は内心ドキドキしていた。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏