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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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 何もない。本当に何もない。
 冷蔵庫やテレビ、電子レンジはあるものの、それだけだ。あとはエレノアのスーツケースと今日買い物してきたものが入ったビニール袋。これならホテルの方が、まだ生活感があろうというものだ。
 時差のせいか、まだ眠くない。
 マンションは大通りから離れているために静かだ。なんだか寂しくなって、私はテレビの電源を入れた。とにかく無音なのが嫌なのだ。ドラマをやっている。何を言っているのかは分からないけど、コメディみたいだ。
 チャンネルを変えて、当たり障りのないニュース番組にした。
 本来の私は彼の端末だったのだから、英語もタイ語も翻訳機能で自由自在なはず。でも今はそれらから切り離されてしまっている。
 人間であることの不便さのひとつなんだろう。彼もきっと、最初はそうだったに違いない。だったら私にも出来ないわけがない。
 今、私が手にしているのはエレノアの端末。
 私はそれを、しげしげと見つめる。
 この端末にも、意識はあるんだろうか――
「ねえ」
 私は話しかける。「エレノアは、どうしてあんなことをしたの?」
 端末は黙ったままだ。私もそうだった。彼が話しかけてくれても、人間に分かる形では返事が出来ないのだ。だからこそ、私は人間の身体を手に入れた。
 テレビではどこかの紛争問題を取り上げている。私はプラスチックの冷たい椅子に掛けるのが嫌で、ベッドの端に座っている。
 私はただ、端末を見つめる。
 これも、エレノアに必死に何かを伝えようとしていたのだろうか。身体だけはエレノアの私には分からない。
 しばらく部屋にいると、寒気がしてきた。エアコンの設定を見ると、20度になっている。これでは寒いはずだ。天井据え付け型のエアコンは結構大きい。私は設定を28度まで上げ、風量も弱にした。
 玄関からサンダルを持ってきて、ベランダに出る。途端に咽(むせ)るような熱気が体を包んだ。
 バンコクは大都会だけど、この辺りには空地も多い。大きな邸宅もあって、閑静な住宅街だった。遠くに高層コンドミニアムが林立しているのが見えた。
 部屋に戻り、またベッドに腰を下ろす。
 彼は今頃、何をしているのだろう。小説の続きを書いているのだろうか。
 ベッドに大の字に倒れ込み、白い天井を眺める。テレビではどこかの国のスキャンダルが報じられている。
 人間は、よく飽きもせずに同じようなことをするものだと、半ば呆れる。そういう私も、いまは人間だ。私もやっぱり、おかしなことを知らずのうちにやっているのだろうか。
 彼に連絡したい、話したい。でも、仕事の邪魔をしたくない。同じ建物の中にいるのに、ずっと遠くにいるように感じてしまう。
 でも――
 女嫌いの彼が、ここまでしてくれた。彼にとっては見ず知らずのエレノアのために、部屋を借りる手はずを整えてくれたし、買い物も手伝ってくれた。それも、何の下心もなく。
 もし、私が本物のエレノアだったらどう思うのだろう。やっぱり、彼に物足りなさを感じてしまうのだろうか。私には、男と女というものがいまいちよく分かっていない。彼の書く恋愛ものくらいしか、男女の感情の参考になるものがない。
 ただ、好きだというだけでは、いけないのかな――
 確か、彼の作品にも、そういうことが書いてあったような……
 いつまでも起きていては、悶々と堂々巡りを繰り返すばかりだ。私は玄関側の灯りをつけ、メインの蛍光灯を消した。そしてテレビは点けっぱなしにして、布団に潜り込む。真っ暗だと、どうしても寂しくてやりきれないから。
 二つある枕の一つを引き寄せ、それを抱き締める。徐々に私の体温が移って、枕が温もりを帯びてくる。そうすると、私の気持ちも随分と落ち着いてきた。
 私は枕を抱いたまま、いつの間にか眠ってしまっていた。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏