電脳マーメイド
13
それでも私は眠れなかった。
身体の方は疲れ切っていて、時差の関係もあって眠りを求めているのに、どうしても眠れなかった。
かつて、彼の前で見ていた姿。
今はその横顔しか見えない。
苦悩しつつ、傍らのビールのグラスに手を伸ばし、またディスプレイを見つめる彼。
キーを叩く音、表示される文字列。
そしてまた消去される文章。
端末とコンピュータは別だから、私にはアップロードされたものしか知らない。
ひとつの物語を創るというのが、これほどまでに試行錯誤を要するものだと初めて知った。
考えては打ち、そして消し、またキーを叩く。
その繰り返しで生み出されてゆく物語。
彼の枕を抱えながら、私は彼のそんな姿を見続ける。
彼と私の間には、小机がある。
ビール瓶とグラス。
その向こうに彼がいる。
私はいつしか、眠りに落ちていった。
目を覚ました時、部屋は暗かった。
でも、私の隣に彼はいなかった。
彼は電源を落とさないままのコンピュータの前で、自分の腕に顔を埋めて眠っていた。
エアコンは停められていない。
扇風機も回っている。
このままでは、風邪をひいてしまう。
私は起き上がり、彼のそばに寄る。
そっと、その肩に顔を載せる。
枕に沁み込んでいたのと同じ匂い。
それよりももっと柔らかな、彼の匂い。
健一朗が目を覚ます。
私は慌てて身を引いた。
「ああ……どうしました?」
彼が頭を上げる。
「いえ、こんなところで寝たら……」
「気にしないでください。私はどこででも寝られますから」
「そういうことじゃなくて」
「エレノアさんも眠れないのですか?」
私は、彼を見つめる。
「どうしました?」
「ここは、あなたの部屋です」
「そうですよ」
「私は、居候です」
「まあ、そうとも言えますけどね」
「だから、私に遠慮しないでください」
「遠慮とかじゃなくて――」
「来て下さい」
私は彼の腕を取る。
無理にベッドに導く。「あなたは、ここで寝てください」
「でも――」
「私は、あなたの邪魔をしに来たんじゃないんです。だから、あなたは自分の生活を乱さなくていいんです」
「それでもですね……」
「あなたがちゃんと寝てくれないなら、私は床で寝ます!」
彼が息をつく。
「あなたは、何なんでしょうね……」
「そんなことは、どうでもいいです」
「分かりましたよ」
彼は肩の力を抜いて言う。
一旦ベランダに出て、彼はタバコを吸う。
それからトイレに行き、やっとベッドに入ってくれた。
すでに夜中の3時を過ぎている。
普段の彼の就寝時間よりもかなり遅い。
私はベッド脇に椅子を引いてきて、そこに座る。
「ちゃんと寝るまで、見ていますからね」
「いや、それは余計に寝づらい」
「まあ、そうですね……」
私も身体の力を抜いた。
とは言うものの、彼はほどなく寝息を立て始めた。
彼は寝入りがとてもいい方。
大抵は飲みすぎなんだけど。
今夜だって、小机の下にはビール瓶が4本並んでいる。
少ない時でも2本、多い時だと5本。
今日はまだまし。
それが、私がいるからなのかどうかは分からない。
椅子から立って、冷蔵庫を開けてみる。
買い置きのビールが2本ある。
いつも、あるだけ飲んでしまうから、やっぱり今日は私のせいもあるんだろう。
コンピュータの電源はそのままに、私もベッドに上がる。
彼のことだから、本当に私が床で寝ていたら罪悪感を抱くに違いない。
最初は十分に離れて。
それから、少しずつ近づいて。
健一朗は、ぐっすりと眠っている。
寝入りばなは、よほどのことがない限り起きない。
そっと、背中に顔を寄せる。
汗で微かに湿ったシャツ越しに彼の体温が伝わってくる。
首筋に唇で触れる。
彼が微かに身じろぎする。
私は少しだけ身を引く。
でも、彼は眠ったまま。
初めてのキスは、汗の匂い。
起こさないよう、私は彼に腕を回した。