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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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13


 それでも私は眠れなかった。
 身体の方は疲れ切っていて、時差の関係もあって眠りを求めているのに、どうしても眠れなかった。
 かつて、彼の前で見ていた姿。
 今はその横顔しか見えない。
 苦悩しつつ、傍らのビールのグラスに手を伸ばし、またディスプレイを見つめる彼。
 キーを叩く音、表示される文字列。
 そしてまた消去される文章。
 端末とコンピュータは別だから、私にはアップロードされたものしか知らない。
 ひとつの物語を創るというのが、これほどまでに試行錯誤を要するものだと初めて知った。
 考えては打ち、そして消し、またキーを叩く。
 その繰り返しで生み出されてゆく物語。
 彼の枕を抱えながら、私は彼のそんな姿を見続ける。
 彼と私の間には、小机がある。
 ビール瓶とグラス。
 その向こうに彼がいる。
 私はいつしか、眠りに落ちていった。
 目を覚ました時、部屋は暗かった。
 でも、私の隣に彼はいなかった。
 彼は電源を落とさないままのコンピュータの前で、自分の腕に顔を埋めて眠っていた。
 エアコンは停められていない。
 扇風機も回っている。
 このままでは、風邪をひいてしまう。
 私は起き上がり、彼のそばに寄る。
 そっと、その肩に顔を載せる。
 枕に沁み込んでいたのと同じ匂い。
 それよりももっと柔らかな、彼の匂い。
 健一朗が目を覚ます。
 私は慌てて身を引いた。
「ああ……どうしました?」
 彼が頭を上げる。
「いえ、こんなところで寝たら……」
「気にしないでください。私はどこででも寝られますから」
「そういうことじゃなくて」
「エレノアさんも眠れないのですか?」
 私は、彼を見つめる。
「どうしました?」
「ここは、あなたの部屋です」
「そうですよ」
「私は、居候です」
「まあ、そうとも言えますけどね」
「だから、私に遠慮しないでください」
「遠慮とかじゃなくて――」
「来て下さい」
 私は彼の腕を取る。
 無理にベッドに導く。「あなたは、ここで寝てください」
「でも――」
「私は、あなたの邪魔をしに来たんじゃないんです。だから、あなたは自分の生活を乱さなくていいんです」
「それでもですね……」
「あなたがちゃんと寝てくれないなら、私は床で寝ます!」
 彼が息をつく。
「あなたは、何なんでしょうね……」
「そんなことは、どうでもいいです」
「分かりましたよ」
 彼は肩の力を抜いて言う。
 一旦ベランダに出て、彼はタバコを吸う。
 それからトイレに行き、やっとベッドに入ってくれた。
 すでに夜中の3時を過ぎている。
 普段の彼の就寝時間よりもかなり遅い。
 私はベッド脇に椅子を引いてきて、そこに座る。
「ちゃんと寝るまで、見ていますからね」
「いや、それは余計に寝づらい」
「まあ、そうですね……」
 私も身体の力を抜いた。
 とは言うものの、彼はほどなく寝息を立て始めた。
 彼は寝入りがとてもいい方。
 大抵は飲みすぎなんだけど。
 今夜だって、小机の下にはビール瓶が4本並んでいる。
 少ない時でも2本、多い時だと5本。
 今日はまだまし。
 それが、私がいるからなのかどうかは分からない。
 椅子から立って、冷蔵庫を開けてみる。
 買い置きのビールが2本ある。
 いつも、あるだけ飲んでしまうから、やっぱり今日は私のせいもあるんだろう。
 コンピュータの電源はそのままに、私もベッドに上がる。
 彼のことだから、本当に私が床で寝ていたら罪悪感を抱くに違いない。
 最初は十分に離れて。
 それから、少しずつ近づいて。
 健一朗は、ぐっすりと眠っている。
 寝入りばなは、よほどのことがない限り起きない。
 そっと、背中に顔を寄せる。
 汗で微かに湿ったシャツ越しに彼の体温が伝わってくる。
 首筋に唇で触れる。
 彼が微かに身じろぎする。
 私は少しだけ身を引く。
 でも、彼は眠ったまま。
 初めてのキスは、汗の匂い。
 起こさないよう、私は彼に腕を回した。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏