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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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電脳マーメイド

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「私は、あなたのお話が好きです」
 私は言った。
「そうですか。ありがとうございます」
「特に“星々の隙間”とか“きょうのむこう”とか。他のも全部好きです」
「いや……どうも……」
「気に入らないですか?」
「そうではなくて、面と向かって言われるると、面はゆいというか……」
「そうですよね。すみません……」
「あなたが謝らなくていいですよ。ただ、私はそんなふうに言われたことがないから」
 彼が頭を掻きながら宙に目を向ける。
 そう、健一朗は褒められることに慣れていない。
 いつも|貶《けな》されてばかりいたから。
「自信を持ってください。私はあなたのお話が大好きなんですから」
 彼が鼻で息をつく。
 そして、立ち上がると冷蔵庫からビールを取り出した。
「お酒、好きなんですよね?」
 私は訊く。
「好きですよ」
 彼が言う。「だって、これが楽しみなんですから」
「美味しいものも、ですよね?」
「まあ……そうですね」
 栓を抜く。そして、私の方を見る。「あ、あなたも飲みますか?」
「いえ、私は飲めないんです。一緒に飲めたらいいんですけど……」
「そうですか……」
 少し残念そうに、彼が言う。「じゃあ、私だけ失礼しますよ」
「あの……」
 私は言う。「少しだけなら、お供します」
「飲めないんでしょう?」
「一緒に、飲ませてほしいんです」
「変わった人だ」
 彼が微笑む。「無理しないで」
 そう言いながらも新しいグラスを出し、3分の1ほど注いでくれる。
「乾杯、していいですか?」
 私の言葉に、彼がグラスを合わせてくれる。
「乾杯」
 彼は一気飲みはしない。一口飲むだけ。
 でも私は一気にグラスを傾けてしまった。
 飛行機の中でも飲めなかったのに。
 当然、私は激しく咳き込んでしまう。
 彼が慌てて私の背中をさすってくれる。
「だから、無理しないでと言ったのに」
「す……」
 また咳が出る。「すみません……」
「一気飲みなんて、するもんじゃないですよ」
「すみません……」
「いや、勧めた私が悪いんです」
「そんなこと、ありません。だって、あなたはビールが美味しいって、いつも言ってたから」
 涙目になりながら言う。
「飲めない人に、無理に飲ませるつもりはありませんよ」
「そう……ですよね。もったいないですもんね」
「まあ、それもありますが、酒は美味しく飲むものですから」
「ええ……」
 それと、悲しみや要らないことを忘れるためにも――
 その言葉を、私は飲み込んだ。
「ああ」
 彼が言う。「何か食べるものを。お腹減ってるんじゃないですか?」
 言われて気づく。
 そう言えば、機内食を食べて以来飲み物以外何も口にしていなかったことを。
「すみません。少し……」
「ですよね。さっき買って来たのと、後は冷凍食品くらいしかないですけど」
「すみません」
「そんなに謝られてもね……」
 彼は私と会う前に屋台で買い求めたものを私の前に置く。そして冷蔵庫からコンビニ弁当を出して電子レンジに入れた。
「これは、あなたの晩ごはんなんでしょう?」
「実は、このところあまり食欲がないんです。どうぞ遠慮なく」
 そう言われても、はいそうですかとは言えない。
「じゃあ、半分ずつ。何も食べずにお酒を飲むのはよくないです」
「まあ、そうですね。分かってはいるんですけどね」
「だから、半分だけ頂きます」
「あなたがそうしたいと言うなら」
 彼がその提案を受け入れてくれる。
「押しかけたのは私です」
「まあ、そうですが」
 電子レンジが音を立てる。
 彼が立って、それを手に取る。
 すぐに扉を閉めないのも、いつものこと。中に匂いがこもるのが嫌だから。
 ささやかな晩餐。
 初めての、彼と私の夕食会。
 健一朗が私に気をかけてくれる。
 ただそれだけで、目の前にあるすべてがこの上もないご馳走に感じられる。
 ありがとう。
 端末の中に閉じ込められていた時よりもずっと、彼を感じられる。
 その一挙手一投足に。
 その言葉の端々に。
 それがとても暖かくて。
 嬉しい。
 そして、愛おしい。
 健一朗。
 好き。
作品名:電脳マーメイド 作家名:泉絵師 遙夏