電脳マーメイド
7
「すみません」
私は言った。「勝手に――」
「どうです? そのホテルでいいですか?」
彼がディスプレイに表示されたままのホテルの予約画面を指して言う。彼はマンション1階にある飲料水自販機で水を買いに行っていただけのようだった。
「……」
「まさか、本当にここにずっといる気でもないでしょう?」
「その、まさかなんです……」
「あなたね――」
彼が言う。「エレノアさん? 何度も言うようですけど、あなたは女で私は男ですよ」
「ええ」
「信用してくれてるのは嬉しいですが、そんなに簡単に決めていいことではないし、そもそも私にはあなたを信用する根拠がない」
「それは、分かります。あなたは女性を信用しないし、できない。そして人間も信用できないといつも言ってますよね?」
「そこまで知っているのに」
「女はみんな打算で動くと思ってるんですよね?」
「みんなではないでしょう。でも、私にはそうではないと知る機会がなかった。それだけです」
「お金のため、ステータスのため」
「違うのですか?」
「では、男はみんな、女を性欲の捌け口としか見ていないんじゃないですか?」
「そうですね。私もそう思います」
「あなたも、そうなんですか?」
「私自身は、女性をそんなふうには見ていない」
「女はお金のために男に近づき、男はセックスのために女に近づく」
「でも、それは真理でしょう?」
「でも、あなたは違う」
「どうして、そこまで断言できるんです?」
「あなたがいつも言っていること、あなたの作品の全て、そして――」
私は、彼の瞳を真っ直ぐに見据える。「あなたはさっき、私が服を脱ごうとしたのを止めてくれました」
「そんなことは、当然でしょう?」
「だって、男はみんな女を性的にしか見ていないんでしょう?」
健一朗が、大きくため息をつく。
「あなたに、そこまで思いつめさせる理由は何なんですか?」
「あなたが好きだからです!」
言ってしまった。
だって、それしかないから。
本当に、ほんとうに大好きなんだから。
「それは遠森ですか、それとも――」
「健一朗さんです。三潴、健一朗さんです」
彼がまた、ため息をつく。
「あなたが、私のことを信用できないのは分かります」
私は言う。「いきなり訪ねて来た女を信じろという方がおかしいってことも。でも、私があなたのお金とかが目当てじゃないってことは、すぐに分かると思います」
私は立って、ハンドバッグを手に取る。
「ここに7000バーツあります。ユーロの現金だと3万。あと、カードも。他にも――」
「もう、いいですよ」
「だって、あなたは今もお金に――」
「あなたからお金をもらおうとは思っていないですから、それはしまってください」
「じゃあ、信用してくれるんですね?」
「……」
彼が値踏みするように私を見る。
身体ではなく、眼を。
私はその痛いほどの視線を受け止める。
張り詰めた時間が流れる。
でも、眼を逸らせない。
疑い、逡巡、そして信じたいという微かな想いが宿る目の色。
深く、哀しい。
誰だって、こんなふうに見つめられたら動けなくなる。
でも、誰ひとりこんなふうに彼の視線を真正面から受けようとはしてこなかった。
だから、私が受け止める。
彼の全部を。
逃げちゃだめなんだ。他の人みたいに逃げちゃ――
空気が緩む。
私は肩の力を抜いた。
彼があからさまに大きく息をつく。
私は彼に悟られないよう、そっと息を吐いた。