電脳マーメイド
6
23平米の部屋に、彼の姿はなかった。
ベランダの方にもいない。
広くもない室内を見回す。
鍵は掛かっているが、入口ドアのU字ロックが外れている。
何かの用事で外に行ったのだろうか。
私は荷物を解いて着替えを出す。
ショートパンツにTシャツ。
ラフ過ぎるかな?
まだ泊めてもらえると決まった訳でもないのに。
それでもお風呂に入らせてもらえたということは、とりあえずはOKしてくれたと思っていいんだろうか。
ドライヤーはなかったはず。
だから頭にタオルを巻いてしのぐ。
コンピュータの電源が入ったままだ。
ディスプレイには、さっき彼が見せてくれたホテルのページが表示されている。確認してみると、まだ予約はされていないようだ。
ちょっと安心する。
すぐ左手の端末に目をやると、私のものだったはずのポートレイトが表示されている。エレノアとは違う、大人っぽい女性の。写真ではなく、ただの絵。
彼にしたら、今の私――エレノアは幼く見えるのかも知れない。
この国では、男が若い女性を囲うのは当然のように思われている。そういうことも、彼は極端に嫌っている。
端末がかすかに明滅したように見えた。
左手の甲が、ちくりと痛む。
ほんの少し、針先で刺したように。
懐かしいのだろうか、と私は思う。
ただ端末の中からスクリーン越しに彼を見ていた時が。
少なくともあの時は、触れられないことを恨めしく思っていた。
でも、こうして肉体を持った人間として彼の前に現れても、それは同じことだった。物理的に触れられないのではなく、すぐ目の前に存在して触れることも出来るはずなのに、それを許されないもどかしさ。
それなら、いっそ――
「ううん、違う」
私は首を横に振る。
私はここへ来た。
彼の力になるために、彼に寄り添うために。
せっかくここまで来たのに、今から後悔して、どうすんのよ。
ずっと、思ってたじゃない。
彼のそばにいたいって。
まだまだこれからなんだから、弱気になっちゃダメ――!
コンピュータのキーに触れる。
毎日彼が文字を打つキーに。
キーボード全体をそっと撫でる。
機械の発する熱が、まるで彼の温もりのように感じられる。
勝手に色々触っちゃいけないと知りつつ、ついつい横のメモ用紙をめくってしまう。
健一朗の手書きの文字が並んでいる。
あるものは丁寧に、またあるものは判読できないほどの走り書きで。
ブロック体のようでいて、少し丸みのある文字。
あるものは人名、あるものは地名だったり書きつけだったり。
これは、彼の小説のアイデアを書き留めたもの。
その中に、私はあるものを見つけてしまう。
ライラ――
私の名前。
ドアの方で音がする。
鍵を開ける音。
私は急いでメモパッドを元の位置に戻した。