電脳マーメイド
3
彼のマンションの方へ歩く。
並んで、車が来ると少しずれて。
それでも彼は常に車道側を歩く。
私は彼の後ろになると、その背を見つめる。
車が通り過ぎると、今度は私が追いつけるように歩調を緩めてくれる。
彼は決して私を嫌っているわけではない。それでも好いてくれているのでもない。
気づいてよ。
私、あなたの――
「ホテルの予約の仕方が分からないわけじゃ、ないんでしょう?」
彼の問いかけに、私は黙って頷く。
「代わりに――」
「嫌です」
代わりに当日予約してくれようとしているのが分かったから、それを断る。
「だからと言って、はいどうぞなんて言えるわけがないでしょう」
また頷く。
「ここの日泊利用ができるか訊いてみますけどね」
「ありがとうございます」
マンションに着く。
レセプションで彼が事情を説明してくれる。
部屋の準備が出来ていないので無理だとのことだった。
明日からなら可能だと。
交渉しても、どうしても今日は無理と押し通された。
ここは結構きちんとしている、通常のホテルじゃないんだから、予約なしで泊まれるわけじゃない。予約を受けてから部屋を掃除してベッドなど調度を整える。
私は彼のシャツの裾を握る。
彼がため息をつく。
受付の女性が、知り合いなら追加料金なしで同室OKだと言っている。
彼は、考えますと応え、私に向き直る。
「パスポートを。それと、その用紙に記入して」
係の人が差し出した用紙に、私は言われるままに書く。
自分のものであるはずの名前すら、パスポートを確認しながら。
最後にサイン。
でも、入出国カードの時と同様それほど困らなかった。
エレノアの手は、その筆跡を確実に記憶していたから。
彼についてマンションの7階まで上がる。
「すみません、私……」
「エレノアさん、ですよね?」
「はい。まだ名前も言ってなくて……」
廊下を奥まで進む。
彼が鍵を開ける。
見知った部屋、男性一人が住むには片付き過ぎた部屋。
やっと帰って来られた。
「汚い部屋ですけど、どうぞ」
「失礼します」
ちょっとタバコ臭い匂い。
風のある日しか部屋でタバコは吸わない彼だけど、やっぱり少し匂う。
これは新しい発見だった。
だって……
彼が端末をコンピュータの横に置く。
いつもの定位置。
私の場所。
彼が電源を入れる。
同時に端末の方も。
その画面に、私のものだったはずの姿が映し出される。
「とりあえず、ここに」
彼が椅子を私に勧める。
「はい」
私はそれに腰を下ろした。
ネットワークに接続し、彼がキーボードを叩く。
そして表示される宿泊予約サイト。
「あの……」
「とりあえず、今日の宿を探さないといけないでしょう?」
「どうしても、ダメなんでしょうか?」
ここは、私の部屋なのに――
この前まで一緒にいたのに。
健一朗。
あなたのすぐ前に、私はいるのよ――
今すぐにでも後ろから抱きしめたいのに。
ずっと、そうしたかったのに。
そのために……そのために……。
こうやって、来たのに――
いざ彼を目の前にしたら、何も出来ない。
「そういうことじゃなくて、あなたも私のことはよく分かっていないでしょう?」
彼が言う。
「……」
「あなたが私をどう思っているのかは分からないけど、私は決していい人間じゃないし、それに――」
彼が私の方を見る。「あなたは女性だ。少しは警戒なさい」
「あなたは、そんなことをなさるんですか?」
「そんな気があってもなくてもです。私はあなたをこの部屋に泊める気はないし、何かしようという気もない」
「やっぱり、ご迷惑なんですよね……」
「迷惑とかそういうことじゃなくてね」
彼が画面に向き直る。「この近くの簡易ホテルに空き部屋があります。セキュリティもしっかりしてるようだし、ブックしましょう。ここです――」
ディスプレイを私の方へ向ける。
私は立ち上がり、彼の近くに寄る。
確かに清潔そうな部屋。
でも……
彼の肩に手を置く。
もう、止められなかった。
背後からその首に腕を回す。
「泊めてください……」
彼の身が強ばる。
「何でもしますから」
少し間があって、彼が私の手をはがす。
「やめてください」
そっと、それでいて完全な拒否を感じさせる力で、私を引き離す。
「本当に、何でもしますから、お願いです」
「あなたは、一体何者なんです?」
「私は……ラ――」
思わず自分の名を言いそうになる。「エレノア・シュタインベルク。あなたのファンです」
「ただのファンが突然押しかけて、サインとかではなくて何でもしますとか言い出しますか?」
「私は――」
「あなたは私のファンだと言ってくれた。それには感謝します。でも、それとこれとは別です。私はあなたにファンでいてくれる以上のことは望まない」
「分かっています」
「なら、何故です?」
「それは――」
「あなたは私のファンだと言いましたね?」
「はい」
「あなたは、私に幻想を抱いている。本当の私は、ああではない」
「知っています」
「どうして、そう言えるのですか?」
「あなたのSNSも見ているからです」
「あれを……」
「あなたは、嘘を言っているわけではないですよね?」
「もちろん。でも全てではありません」
「私は、あなたを知っています」
「どういうふうにですか?」
「あなたは、とても繊細で……」
優しいと言おうとして、やめる。なぜなら、彼は優しいと言われることを極端に嫌うから。「傷つきやすくて、思いやりがあって」
「ありがとうと、言うべきでしょうね。でも私はとても冷酷で残忍です」
「それを表明できるのは、正直だからと思います」
「正直か……」
彼が寂しげな微笑を浮かべる。「そんなものは何の役にも立たない」
「そうでしょうか?」
「違いますか?」
「私はあなたの、そんな真摯で正直な姿勢、そして真っ直ぐなところに惹かれたんです」
「……」
「あなたが、私が何かするのを嫌だと言うのなら、何もしません。邪魔もしません。だから、一緒にいさせてください。お願いします」
「エレノアさん……」
「はい」
「私には、あなたが分からない」
「どうしてですか?」
「話してもらえませんか。あなたの真意を」
「私は……」
彼を真っ直ぐに見て、私は語り始めた。