電脳マーメイド
49
夕暮れ近くまで公園にいた。
さすがに暗くなってきたのでそろそろ帰ることにした。
「どうでしたか? 少しはリフレッシュできましたか?」
彼が訊く。
「ええ、だいぶすっきりしました」
「それは良かった。これからは定期的にここに来ましょう」
「すみません。迷惑をかけて」
「迷惑だなんて、思ってませんよ」
「今日は寿司にしましょうか。ライラは、生ものは大丈夫ですか?」
「はい。って言うか、この前も生海老のタイ料理食べましたよ」
「ああ、そうでしたね」
バスを降りての帰りに百貨店に寄り、パックの寿司を買って帰った。もちろんビールも一緒に。
まずはシャワーを浴びて、早速乾杯をした。
写真などでは見たことはあるけど、実際に握り寿司を食べるのは初めてかもしれない。コンビニの手巻き寿司くらいは食べたことはあっても、生のネタが載ったものは初めてだった。
今日は彼もコンピュータの電源は入れないまま、私の方を向いてくれている。それがたまらなく嬉しくて、ついつい微笑んでしまう。
彼はこんなにも優しいのに、どうして女性にモテないのだろうと不思議に思う。
でもその分、私が独り占めできるのだから、悪いことばかりではない。
「寿司って、こんなに美味しいものだとは知りませんでした」
私は素直に感想を述べる。
「本当はもっと美味しいものなんですけどね。私には手が出ないです」
「日本に行けば、食べられますか?」
「そりゃあね、同じ値段でもずっといいものが食べられますよ」
「でも、健一朗さんは帰らないのですね」
「ええ。自分で決めたことですからね」
寿司を食べてしまうと、彼は冷蔵庫から漬物を出して肴にし始めた。
「健一朗さん」
「何です?」
「私とのこと、小説の役に立っていますか?」
「もちろん。これまで私は女生とはあまり話したことがないですからね」
「なら、良かったです。私でも役に立てることがあって」
「あなたがいてくれるだけで、心が和みます」
「そう言ってもらえたら……」
私は、椅子を彼の隣に寄せた。互いに顔を寄せあい、軽くキスをする。
「いま書いているものが、もうすぐ上がりそうなんですよ」
彼がコンピュータの電源を入れた。
「ライラのおかげです」
「そんな……」
ビールのせいばかりでなく、頬が熱くなるのを感じた。
「今夜中に仕上がるかな……」
「頑張ってください!」
「ええ、もちろんですよ」
「隣で見ててもいいですか?」
「……あんまりじろじろと見ないでくださいよ。照れくさいので」
「はい。じゃあチラ見だけ」
「それもなあ……」
二人で笑う。
彼はワープロソフトを起動し、入力を始める。
私は少し斜め後ろから、打ち出される文章を眺める。
彼と私の手が同時に伸びて、一つのグラスを掴んでしまう。
「あ。ごめんなさい」
私が間違って、彼のグラスを持っていた。
「いいですよ。どっちでも」
「はい」
一口飲んで、テーブルに戻した。
そして、彼の背中におでこをくっつける。
彼は一瞬だけ身を固くしたが、すぐにリラックスした。
好きな人の背中って、どうしてこんなにも気持ちいいんだろう――
彼が文字を打ち出すたびに、ほんの少し筋肉が動く。それが指先で頭を叩かれているようで、安心した気分になる。
寄せては返す引き潮のように、意識が遠のいて行く。
ああ、このままだと眠っちゃう。椅子から転げ落ちなきゃいいけど――