黄昏クラブ
21
学園祭二日目。私の当番は最初と最後の一時間ずつ。どうせたいした後片付けもないけれど、最後の当番の方が何かとやりやすい。それに、間の時間を全てフリーにできる。もっとも、小夜里に捕まらなければだが。
九時のオープンよりも早く部室に陣取って、購買で買ってきた菓子パンを齧っているところへ、稲枝が来る。
「おう、ヌシ。さすがに早いな」
「稲枝こそ、当番でもないのに何の用よ」
「用がなかったら来ちゃダメなのか? 俺は副部長なんだぜ」
「滅多に顔出さないくせに、偉そうに言うな」
「でも、必要な時にはいてやってるだろ?」
「何よ、それ。恩着せがましい」
「恩着せがましいついでに、ほら」
稲枝が私にペットボトルを投げてよこす。
私は慌ててそれを取った。「約束のやつだよ」
「あ、ああ。ありがとう」
私はミルクティのペットボトルを持って言う。
「えーと、今日のシフトは――」
稲枝がプリントを見る。「最初とラストが、ヌシな」
「何か、文句ある?」
「いや、。ヌシらしいと思うよ」
「それって、どういう意味よ」
「悪く取るなよ。ヌシは責任感が強いってことだよ」
「私は別に、責任とか考えてないけど」
「それでも、最初とラストは自分にしたんだろ」
「まあ、人に任せるより楽だし」
「それなんだよなあ」
稲枝が言う。「ヌシって、結局誰かに任せられない性格なんだよな」
「それって、どういう意味よ」
「ん? そのまんまだよ」
「だって、誰もちゃんと部活に出て来ないじゃない」
「そうか? じゃあ、ヌシは部活に出ろって言ったことはあるのか?」
「それは……」
「俺みたいに、催促されなくても出てくる奴も、いるんだぜ」
「うん……」
私は渋々ながら頷く。
「まあ、そんなに落ち込むなよ。ヌシがいるからこそ、後輩もついてきてるんだから」
「そう、なのかな」
「もっと自信持てよ。部長だろ?」
「部長って言ったって……」
「ヌシは、やれるだけやったんだ。もっと誇りを持て」
「……うん」
「よっしゃあ! 今日は楽しもうぜ!」
「ちょ、ちょっとお!」
「いいじゃないか、高校生活最後の学園祭だ!」
「いや、恥ずかしいから静かにして」
「来年にはいないんだから恥もくそもあるもんか!」
稲枝が奇声を上げる。
「もう!」
机に登ろうとする稲枝を、私は必死で取り押さえた。
「で、ヌシ。カメラ持ってないか?」
稲枝が訊く。
「そんなもん、持ってる訳ないでしょ」
「あ、俺が持ってたわ」
「稲枝―」
「悪い」
稲枝が頭を掻く。「俺のベストショットを撮ってくれよ」
「はあ?」
「だから、俺をカッコよく撮ってくれって言ってんだよ」
「カッコよくもないやつを、どう撮れって言うのよ」
「何だと? 学年で百番以内には入れるはずだぞ」
「それ、普通って言うのよ」
「手厳しいな。でも、女から見てカッコいい感じで撮ってくれよ」
「そもそも、元がダサいから……」
「それは言うなよ」
「しゃあないなあ」
まさか、稲枝相手に写真を撮るなんて思いもよらなかったから、最初は迷った。だが、色々と指示を出しているうちに私も稲枝も乗り気になって、撮影するのが面白くなってきた。
そこで、稲枝が言う。
「俺ばっかり撮ってもらっててもつまらないだろ。次はヌシを撮らせてくれよ」
「え? 私を?」
「文芸部ラストの記念だよ」
「でも、私なんか撮ったって……」
「バーカ、部長のくせに」
「それとこれとは別でしょ!」
「はい、一枚」
「こら! いきなり撮るな!」
「だったら、ポーズ取れよ」
「誰が!」
「はい、もう一枚」
稲枝がシャッターを押す。
「おのれ―!」
「ちゃんと撮らせてくれないのが悪いんだぜ。せっかく可愛く撮ってやろうと思ってるのに」
「え? 今、何て?」
「可愛く撮ってやろうって」
「可愛く?」
「あ、ああ。何度も言わせるなよ」
「じゃあ、どうしたらいいの? こうスカートを――」
「馬鹿、やめろ!」
「稲枝、真っ赤になってる!」
「う、うっせえよ!」
「冗談よ」
私は笑う。「何、マジになってんのよ」
「テメェ、しばくぞ」
「どうぞ。出来るならね」
「愉快犯かよ」
「なんとでも、どうぞ」
「ヌシなんか撮ろうと思った俺が馬鹿だった」
「じゃあ、何を撮るの? 写真家さん?」
「お前な……」
言い合っている所へ来客が来る。
「あの……」
見るからに後輩な女の子が訊く。「ここ、古典部ですか?」
「古典部?」
稲枝と私が同時に声を上げる。
「え? 違うんですか?」
女の子は縮こまって言う。
「ここは文芸部よ。この学校に古典部はないわ」
「そ、そうですか。失礼しました!」
女の子は走り去った。
「うちに古典部なんてあったっけ?」
稲枝が言う。
「ないはずよ。あったら、そう言うもん」
私はとぼける。
「だよな」
「でも、どうしてあの子は古典部なんて言ったのかしら」
「さあな、中学生っぽかったから、リサーチに来たとか」
「かもね。たぶんそうよね」
「で、ヌシの撮影会の話はどうなった?」
「誰の撮影会よ」
「青春は、ぼやぼやしてるとすぐに終わってしまうもんだぜ」
「誰も、撮ってくれなんて言ってない」
「その何気ないひと時が後になって大事になることだって、あるんだぜ」
「何を分かったようなことを」
「なあ、撮らせてくれよ」
「何で、私?」
「文芸部には、ヌシだから」
「そんなので、私が許すと思う?」
「許せよ。どうせ今年で最後なんだから」
「人生の最後みたいに言うな」
私は言い返す。
「俺は、人生最後なんて言ってないぜ」
「だったら何よ。世界終焉?」
「それは参ったな」
稲枝が言う。「もし世界終焉なら、言うべきことは別にあるからな」
「何よ、それ。辞世の句?」
「そんなに潔く済ませられたらいいんだけどな」
「ねえ。どうしてそんなにこだわるの? 撮るものなら他に幾らでもあるでしょうに」
「そりゃあな。撮るものなんて幾らでもあるだろうよ。でも、ヌシはお前ひとりだ」
「まあ、私はひとりよね」
「馬鹿か」
稲枝が怒った顔になる。
「馬鹿とは何よ」
「もういいよ」
彼はカメラのレンズにキャップをつけると、それ以上何も言わずに出て行った。
「何だったんだろう、あいつ」
扉の方を見やりながら、私は呟いた。