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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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黄昏クラブ

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「お母さん、全然自覚ないんだ」
「あんたは、あるの?」
「お母さんってね、時々グサッと来ること言うんだよね」
「例えば?」
「んー」
 真紀理が考える表情になる。「よく分かんないんだけど、ボソッと言うんだよね」
「ボソッと?」
「そう、ボソッと。今みたいに、ちゃんと話してるんじゃなくって、ホントにボソッと」
「何よ、それ」
「だって、そうとしか言いようがないもん」

 ああ、そう言えば、誰かが言ってたっけ。
 あんたって、時々真をつくようなことを口走るよねって。
 あれは誰の言葉だったろう。

 立て続けに振られたからって、男を嫌いになろうなんて思わないこと――
 誰ともつき合ったこともなく、初恋さえまだな私が言った言葉。
 真奈だっけか志穂だっけか、誰に言ったのかさえ忘れたけれど、その相手は息をのんで私を見て言った。
「私、こんなに辛い思いをするなら二度と誰も好きにならないようにって、男の悪いとこばっかり見ようとしてた」
 いいところも悪いところも知らない私がボソッとこぼした言葉。
「傷つきたくないから嫌いになる努力をするの?」
 これは、思い返してみても自分の言葉とはとても思えない。
 当時、私は嫌いになる努力以前だったから。

 あの不可思議な少女に再び会ったのは、期末試験直後のことだった。その頃にはすっかりそんなことは忘れていて、模試の結果や受験勉強、そして可能な限り本を読むことに費やしていた。正直なところ、読書タイムがほとんどだったわけだけれども。
 期末試験明けの試験休み中も私は体育会系部活のように、ほぼ毎日学校に来ていた。弟は中学だから試験休みはないけれど、どうせ午後下校してからは男ばかりが部屋にたむろする。
 私は適当な時間を見計らって学校に行き、いつものように部室で時間を潰す。
 男嫌いになろうとしなくたって、嫌なところは目を背けていても見えてしまう。そんな環境にいて、無理に男嫌いになる必要は感じないが、かと言っていい面を探す気にもなれないというのが、私の偽らざる気持ちだった。
 分かりやすく言えば、無造作に脱ぎ捨てられた臭い靴下の臭いからは出来るだけ遠ざかりたい。それだけなのだ。
 誰かを好きになると、あの臭いさえ好きになれるんだろうか。
 いや、それはあり得ない。
 でも、そのあり得ないのが恋なのかな……。
 男の脱ぎ捨てた靴下さえ愛しくなる?
 いや、靴下から離れろよ。サンタさんじゃあるまいし。
 ふっと手元が翳った。
 そうじゃない、既に下校時間を過ぎていた。登校日ではないため下校を促す放送もなく、見回りも来なかったので、すっかり時間を失念していた。
 いつもは先生に言われてからゆっくり帰り支度をするのに、変に遅くなったような気がして慌てて本を鞄にしまった。エアコンもないので開け放したままの窓を閉め、鞄を手に取る。
 本当なら、そんなに慌てる必要など何もなかったのだ。試験休み中とはいえ、野球部などの運動部は普通に活動をしていて、掛け声や様々な音が聞こえてきているはずだったのだ。
 だが、私はそれら聞こえるはずのもの全てから途絶されていた。
 部室の扉を閉める。
 コトリと、何かが落ちる音。
 窓を閉め忘れた――?
 少しだけ開けてみる。
 だが、完全に閉まっている。
 ふう――
 私は息を吐いた。
 安堵した私の耳に聞こえてきたもの。
 それは……

――てんてん、てまりは、てんころり
  はずんで、おかごの、やねのうえ
  もしもし紀州のお殿さま
  あなたのお国の、みかんやま……――

 あの時と同じだ――
 でも、違う――
 手鞠唄。
 鞠つきの音。
 ごくりと唾を飲み込む。
 扉に手を伸ばす。
 時間が引き延ばされる。
 自分の動作が恐ろしく緩慢になっているのを感じる。
 とん、とん……とん……
 手鞠唄が途絶え、何かが跳ねる音がこちらへと向かってくる。
 とん……
 その音は、扉を微かにふるわせて止まった。
 私は扉の前で微動だにしなかった。
 いや、できなかったのだ。
 それよりも何も、動くことすら忘れていた。
 自分に動くことが出来ることすら。
――拾って
 完全に固まってしまった私に、誰かが言った。
――拾って
 それは繰り返した。
 拾ってって――
 だって、ここには何もない。
 人の通りも絶えた文化部棟なんだから。
 私は震える手で、扉を開けた。
作品名:黄昏クラブ 作家名:泉絵師 遙夏