ひまわり天使
ならば、駅しかないだろう。それも、そこそこ大きな駅に。どうせ帰るのなら電車にも乗らないといけない。わたしは駅へと向かった。
その途中で、わたしは見つけた。
やった!
Lion
外国人の頭上にきらめくLionの文字。
いや、ちょっと待てよ。あれってリオンじゃないよね? ライオンだよね?
うわ、やっぱり外れだった。
ってか、これは日本人に限った現象じゃなかったんだ。
と言うよりもさ、外国にもしりとりってあるの?
その場合、んで終わってもいいんだよね? だって「n」なんだし。だったら、しりとり終わらないんじゃない?
駅に着くと、さすがに人通りは多かった。外国人の姿もちらほらと見受けられる。
あんみつ、こいのぼり、でんわ、カレンダー。
たいほ、ガムテープ、मछली、สะพาน……。
って、読めるか!
電車に乗るべきか、それともここで「り」を持つ人を待つ方がいいのか。
人が多い場所ほど外国人観光客も多いはず。それに、あんまりごちゃごちゃしてたら却って探すのも大変そうだ。
கிரிக்கெட்
だから、読めんと言っとろうがっ!!
駄目だ駄目だ。外国人は除外して、日本人だけを見るんだ。
カルボナーラ、そうさほんぶ、ざっそう、きょうりゅう……
人通りはあるのに、いっかな「り」はない。
そうして一時間くらい駅前に突っ立ってただろうか、ようやく「り」を見つけた。
やった! 「り」見っけ――!!
でも、わたしの喜びは一瞬にして萎えてしまった。
りす。
その持ち主は、明らかにその筋のヤバそうな人だったからだ。
輪っか同士をごっつんこしないと消えないわけだから、あのヤーさんに体当たりしなきゃいけない。
幾らなんでも、これはないだろう。
半殺しにはされないだろうけれど、身ぐるみ剥がされそうな雰囲気がある。
せっかく見つけた「り」をみすみす逃すのは口惜しかったが、これはもう仕方ないよね?
それこそ肩をいからして颯爽と駅に入ってゆくヤクザさんを見送り、次なるターゲットを探す。
よっちゃんいか、タグボート、れんこん、にしきごい……。
やっぱり、ら行は少ない。
なっとう、おしぼり、ルーレット、あんみつ、げんこつ、アニメ……。
いい加減、疲れてきた。
やっぱり、場所を変えようか。
それにしても、「り」で始まる単語って、こんなに少なかったっけ? 子供の頃の記憶を辿ると、「る」が一番難しかったはず。「り」は、もっとあって然るべきなんだ。
思いつくだけでも、陸、リリー、理科、リスク、立冬、リラックス、理詰め、と結構出てくる。
周囲に注意しつつ、脳内で回転している「ひまわり」を極力気にしないようにしながら改札を抜ける。
この状態で新宿とか行ったら頭痛くなりそうなので、とりあえず五反田くらいが手頃だと思いながら電車に乗る。
にょうい、かばやき、しめきり、エスカレーター、ものほしざお、ローマ……
座席は全て埋まっていて、立っている人が少しいるくらい。その全員を見ても、「り」はなかった。
窓際に立って、ぼんやりと外を見る。
――!
ドアの外に流れる光景。線路沿いをベビーカーを押して歩いている女の人。その頭上に瞬くのは、紛れもなく!
一瞬だったが、見えたのだ。
リップスティック。
わたしは扉の窓にへばりついて、もう後方彼方に去ってしまった「り」を持つ女性を目で追った。
山手線だから駅と駅の間の距離はそんなにないはずなのに、次の駅に止まるまでの時間がやたら長く感じられた。
駅名も聞かず、ドアが開くや否やわたしはホームに飛び出した。階段を駆け上がり、改札にタッチするのももどかしく外へ出る。
線路沿いを息せき切って走る、走る、走る。
どうか、途中で曲がっていませんように――
遠くにベビーカーを押す姿を認めた時には、正直安堵した。
でも、待てよ。
ぜいぜい息を切らしながら、いきなり素知らぬ顔で輪っかを合わせられる?
いや、それって普通にアブナイやつだと思われるだろう。
はやる心を静めつつ、わたしは走るのをやめた。出来るだけゆっくりと歩く。警戒心を抱かれないためにも、呼吸を整えるためにも、歩調は自然な方がいい。
ベビーカーとわたしとの距離が縮まってゆく。
今さらながら、どうやって輪っか同士をぶつけたらいいのか何の考えもなかったことに思い至る。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――?
見知らぬ人とあいさつするなんて、仕事以外では考えられない。
じゃあ、ビジネスライクで――?
「この度は、どうも」
「ご愁傷さまです」
って! 何で死んでる――!?
いや、もっと自然に。自然で――
もう、ベビーカーは目前に迫っている。
でもね、下手な考え休むに似たりって言うじゃない?
ってか、使い方違う?
まあ、どうでもいいや。
だってさ、赤ちゃん可愛いんだもん。
と、その瞬間、赤ちゃんはくわえていたおしゃぶりを、「ぷっ」と吐き出した。
「あ……」
わたしが受け止めるよりも早く、おしゃぶりはものの見事に側溝の穴に吸い込まれてしまった。
「また、この子ったら」
お母さんが、庇の下の赤ちゃんをのぞき込む。
「可愛い赤ちゃんですね」
「どうもすみません、この子はホントにおしゃぶりが嫌いで、これで五個目なんですよ」
「そうなんですか」
わたしは、どうすべきか分かった。赤ちゃんをのぞき込んでいるお母さんと同じようにすればいいのだ。それで、自然と輪っかが触れ合うことになる。
でも、わたしは重大な見落としをしていたのだ。
もっと、お母さんの気を私の方へと引き付けておくべきだったのだ。
おしゃぶりを吐き捨てて両手両足をばたつかせて何やら主張している赤ちゃんに、お母さんが更に顔を寄せる。
その赤ちゃんの頭上に輝く文字列は――
クロッカス。
カチン!
それまでお母さんの頭上で回転していた「リップスティック」の文字列は、ガラス玉が弾けるように霧散してしまった。
「あは、……あははは」
わたしは引きつった笑みをたたえるしかなかった。
なべて世はこともなし。
わたしは、誰かが持っているはずの「り」を求めて彷徨う。
知らぬということほど幸せなことはない。
ねえ、誰か「り」を持ってない?
ねえ、出てきてよぉ!
「り」ちょうだいよお!