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とある夏の日。

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今日は暑い日だった。
だが暑かろうと寒かろうと、この島唯一の医者である青年は古びた家から家へ、往診をしなければいけない。
汗ばんだ体に白いシャツをはりつけて医者は小さな溜息を吐いた。
振り返ると先ほどまでお茶と煎餅を目の前に会話をしていた老婆が小さく手を振っている。
それにさらに小さく手を振り替えし今度こそ医者は歩き出した。
先ほどの老婆で本日の往診は終わった。これでやっと冷房の効いた診療所に戻れる。
別に往診が嫌だと言うわけではない(何故なら医者だからだ)
この暑さが嫌なのだ。

張り付く長い前髪を横に払いながら、医者は海沿いの狭い道路を歩く。
自分が生まれ育った本州では決して見られなかった青い海が目の前には広がっていた。



「せんせー!」



その時、聞き覚えのある子どもの声が聞こえて医者は動きを止めた。
そしてゆっくり振り返る……よりも早く見覚えのある子どもが大きな背中に衝撃を与えた。


「いだっ」
「せんせー、こんにちは! おーしんの帰りですかっ」
「そうだよ。あと、痛いし……暑いんだよ。離れろ、陸」
「はあい!」


陸と呼ばれた黒目の大きな少年は医者から離れて、この照りつく太陽に負けないくらいの眩しい笑みを医者に見せた。
Tシャツに半ズボンというラフな格好で片手にビニールバッグを持っている。大方海で泳いだ帰りだろう(海が近いこの島にプールなどというものは存在しないのだ)


「今からしんりょーじょに帰るの?」
「ああ、そうだよ」
「じゃあぼくもせんせーと一緒に行っていい?」
「陸、お前だから診療所は遊び場じゃないって言ってるだろ」
「知ってるもん! 知ってるよ!! 違うもん、ただ今日の晩ご飯はにーにがとってきた魚だから買い物行かなくていいよってばーばにいってきてってにーにがいったからいいにいくだけだよ! ほんとだよ!!」
「ああ……はいはい」


腰の辺りでぴょこぴょこ小さい体がはねる。
ばーばというのは陸の実の祖母でこの島唯一の診療所で看護士をしている。


「じゃあ、ついてくれば」
「もうついてってるよ!」
「ああ、そう……」


元気いっぱい陸は答えた。
もしかしたら俺の元気はこの少年に吸い取られているんじゃないかなと医者は本気で思った。


「今日はあついね、せんせー!」
「ああ、そうだな……」
「せんせーはもう海はいった?」
「いや……。そういやもう何年も海なんて行ってねえな」
「なんで? 泳げないの?」
「違う。わざわざ遊びに行くほど好きじゃないから」
「えー、なんで? なんで? こんなにきれいできらきらしてて泳ぐのすっごくたのしいのに! せんせー知らないでしょ、潜ったらね、透明でね、お魚がいっぱい見えるんだよ! すごいんだよ!」
「ふうん」


青年と少年のテンションはまさに両極端だった。
陸は不満げな顔をして、足の長い医者を追いかけるように走る。そして少し追い抜くとバッと両手を広げて医者の前に立ちふさがる。


「なんだよ……」
「せんせー、海いこ!」
「は?」
「今度でもいいから海いこ! ぼくせんせーと一緒に遊びたい!」
「……」


遊ぶというか、この年齢差だと保護者役だ。確実に。


「あのね、あのね、もぐったり、向こうの島まで泳いだり、砂のお城つくったり、スイカ割りしたり、楽しいんだよ! ほんとなんだよ!」


陸は目を輝かせた。


「なんで俺なんだよ。お兄ちゃんといけば」
「だってせんせー、いっつもつまんなそうなんだもん!」
「は」
「この島、すっごく楽しいのにいっつもつまんなそうなんだもん! それすっごくつまんないよ、だから一緒に遊んでせんせーに楽しいって思ってもらうの!」
「……」
「それってすっごく、な……ない…ないすあ、あい…あで?」
「ナイスアイディア」
「なーすあであでしょ?」


だから間違ってるって、と心の中で突っ込みをいれて医者は小さく笑った。


「陸はいつも楽しそうだな」
「だって楽しいもん」
「日曜日ならあいてるけど」
「う?」
「海」


小さな小さな低い声で呟いた言葉に目の前の少年は太陽よりも眩しい笑顔を見せた。
(今日は暑いな……)





作品名:とある夏の日。 作家名:ユア