『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(前半)
第1章:国境
アザリアは東の王国イーリアから南の大国レドラスへ入る国境にいた。
アルデガンを旅立ってから二ヶ月になろうとしていた。最初に北の王国ノールドに立ち寄り宝玉やレドラスに関する情報を交換し、次いでイーリアの宰相とも面会し、許可を得て宝玉を失った東の塔の現状を調べたところだった。アルデガンはその場所こそ北の国ノールドの領内にあるが、エルリア大陸全土に分布していた魔物の掃討のために築かれたという由来ゆえにどこの国からも独立しているものと位置づけられており、建立以来一定の敬意をもって接しられていた。むろんいまも援助を続けているノールドとの信頼関係が特に深いのも事実で、両者は互いの情報を包まず伝えあった。
これらの情報が示す状況は予想以上に悪かった。レドラスの野心は明白であり、いつ戦端が開かれてもおかしくないとしか思えなかった。
「レドラスは宝玉についての我々の問いかけをはぐらかそうとするばかりだ」
ノールドの王城リガンで面会した宰相はアザリアに告げた。
「南の塔はレドラスの領土内にあり、西部地域の騒乱以来狙う者もあるので宝玉を塔に置いておけない。だから王城で保管しているというのが言い分だ。東の塔の宝玉については一切関知せぬというばかり。これでは我々もそれ以上追求はできぬ」
「だが今のレドラス王ミゲルが十五年前に即位してから、諸国との国境付近に軍勢を増強しているのも事実。表向きは西部地域の混乱が自国に及ばぬようにしているとのことだが、むしろ我が国や東のイーリアに向けて増強されている。
我らも国境から領内にかけて砦を新たに設け防衛線を強化しておるのだが、ここ数ヶ月の間に軍勢がさらに増強され間者が入り込んでいる様子もある。ここだけの話、王宮ではもしもの場合にそなえての対応も協議しているところだ」
レドラスはエルリア大陸最大の国だった。その版図はイーリアとノールドを合わせたよりも大きかった。難しい協議になるだろうとアザリアは思った。
一方イーリアで聞いた話では先代の王の時代までのレドラスは決して野心をむき出しにしていたわけではなかった。豊かで広大な国土を持つレドラスは農耕民族を遊牧民が支配しており、地上軍の強さには定評があったが魔術の技法の分野においてはノールドやイーリアの水準に遠く及ばず、そのことで恐れを抱いている感さえあったという。特にアルデガンとの協力関係が深く魔術研究においては大陸随一とみなされていたノールドに対する先代のレドラス王の猜疑はいささか常軌を逸していたとの話だった。
ばかげた話だとアザリアは嘆息した。どこから出た話かと。援助がとだえがちになるにつれ衰亡の翳りが目立つ今のアルデガンには魔術士の人材の枯渇こそが目立つというのに。そもそも魔物との戦いに明け暮れ軍事目的での魔術研究どころではなかったというのに。魔物たちの脅威が記憶から薄れ、援助がとだえ疎遠になるとここまで誤解されてしまうのかと。
もっともアザリアにもそのような魔術に関する誤解につけ込む意図もあればこそ、長旅であるのにわざわざ魔術士の白い長衣を着てきたのだが。呪文ひとつ満足に唱えられぬ魔術士である己がアルデガンの現状の戯画のようにさえ感じられた。
そしてイーリアではまだ間者の侵入や軍の目立つ増強は認められないということだった。これはアザリアにとって意外だった。しかも明らかに悪い兆候だった。
ラーダ寺院でゴルツから状況を聞いたときには宝玉のことを知らないイーリアの方がより危険なはずだと思っていたが、実際の状況は明らかにノールドを標的にしていることを示唆していた。魔術において優るはずの相手を、レドラスが宝玉を持っていると知っているため不意を襲いにくいはずなのにあえて標的にする。しかも宝玉はなんらかの加工を受けているとなれば、レドラスはノールドを圧倒するなんらかの魔術的な攻撃手段を手に入れたと考えるしかないように思えた。
アザリアは旅に同行していたラーダ寺院の見習い僧たちにノールドとアルデガンに状況を伝えるために戻るよう命じた。そして自分はレドラスに赴き何か一つでも手掛かりを得るつもりだと告げた。見習い僧たちは危険であると反対し、自分たちも同行すると主張したが、アザリアは事態は急を要すると彼らを説き伏せてイーリアから戻らせた上で単身ここまでやってきたのだ。
国境の警備兵に大司教からレドラス王ミゲルにあてた支援要請の親書を持ってきたことを告げると、アザリアはレドラス領内に迎え入れられた。
警備隊長は褐色の髪と灰色の目という同じ南部民族の特徴を持つアザリアへの親しみを隠さず、レドラスの王城への連絡・運搬隊の便に同乗できるよう取り計らってくれた。イーリアに面した軍勢が臨戦体制にないのは明らかだった。
やはりノールドかとアザリアは思った。ノールドも警戒はしているしこちらからも警告はしたので虚を突かれることはないはずだが、アルデガンの主たる宝玉には劣るというものの巨大な力を持つ宝玉を二つも、それもノールドとイーリアの二国を同時に攻めるわけでもないとしたらどういう使い方をする気か想像もつかなかった。そもそもそんな使い方をするほど大規模で高度な術式などこのエルリア大陸には存在しないし、一から作り上げるなら大陸屈指の魔術士が生涯のあらかたを費やさなければならぬはずだったから。
自分のしていることが正気の沙汰ではないと自覚はしていた。かりにレドラスの秘密をつかんだとして、どうやって国外に伝えるつもりか。秘密を知れば殺されるのが落ちではないか。自分もそう思ったからこそ見習い僧たちを帰したのではないのか。
だが、心の奥で警報が鳴り続けていた。なにがなんでも自分はその秘密をつかまなければならないとかつて洞窟で幾多の死線を潜り抜けることで研ぎすまされた勘が告げていた。
馬車の窓からレドラス軍や領内の様子に油断なく目を配りながらも、アザリアはいつしか探索のため洞窟に赴くリアを見送った旅立ちの日のことを思い出していた。
本当ならリアはこの旅に同行していたはずだった。アルデガンの外の世界をほとんど知らず、ただ洞窟の魔物と対峙するだけの日々において魔獣の魂に感応してしまったリアに、外の世界の営みを見せることで守るべき存在としての人間の姿を示せたなら、きっと自ら戦いの意味をつかみ直してくれたと信じていた。
だがアルデガンに侵入した吸血鬼の牙は、その望みを無残に打ち砕いた。確かにリアは自分の身に振りかかった恐怖と絶望から他の者を守ろうという意識に目覚め恐ろしい戦いに臨んだ。だがそれは彼女の死をもってしか完結しないはずの戦いだった。
アルデガンが失ったものは一人の少女などではなかった。衰亡の翳り深い現状では望むことすら難しい最高の守り手になりうる存在だった。つのる無念の思いがアザリアをまた苛んだ。
あのとき側にいたアラードが自分を指し示したのを見て、アザリアはリアがすでに真昼の太陽に照らされた自分の姿を見ることができなくなっていると察した。リアは戻れるはずもない戦いに赴いた。いまや自分も容易に戻れるはずのない探索の途についている。
もうリアの戦いの結果を知ることはできないかもしれない。
作品名:『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(前半) 作家名:ふしじろ もひと