本の書き込み
ある人はモリエールの戯曲「人間嫌い」の所々に線を引っぱっている。例えば主人公が知人の作った詩を木っ端みじんに叩く場面。主人公が一方的に批判していると思いきや、この読者はそのシーン全体をくくる線を引いて、「ゲラゲラ笑いながら」と注を付けている。この文言一つで、叩く方も叩かれる方も互いを嘲笑しながら、言い合っている感じになる。これはこの人の解釈だろうか。それとも舞台を実際に見てきて、このように書き入れたのか。自分には思いもよらない解釈に気づかされる。
この人はこういう調子でその場面を朗読していたのではないかとも思う。演劇青年だったのかな。巻末には訳者あとがきの日付が1960年としてあるが、その脇に「私の30才の時」と書き込まれている。だとしたら、この方は現在89才。相当な高齢だ。若き日にモリエールに耽溺し、時には演じたかもしれない永遠の演劇青年。今もご健在だろうか。
明らかに芝居か朗読の稽古のためと思われる書き込みもある。こちらの方は谷崎潤一郎の短編集「刺青・秘密」。巻末に「Shiho ’98 3.20」とサインがしてある。Shihoさんはその種のサークルに入っていたか、またはプロの卵だったのか。
人物の会話の中で句のまとまりごとに線を入れて、どこで切って読んだらいいかを工夫している。また時折アクセント記号も付している。
人の話の終わりには「優しくおずおずと」とか「細い声で哀れを乞う」とか「テンポよく」などという指示が書いてある。これによってその発言の感情が俄然変わってきて、登場人物たちの心の移ろいに改めて気づかされる。
仲間とともに登場人物を読み分けている時もある。複数の人物が言葉のやり取りをしている時、記号を打って役割を分けている。感情の込め方が指示してある部分は、自分が担うパートなのだろう。その姿勢は純にしてひた向き。ああ、熱心な顔の彼女を見てみたかったなあ。
あれからおよそ20年。Shihoさんは俳優か声優になり、成功を遂げられたか。それとも家庭に入って夫や子供とともに幸せな生活を築いているか。年の瀬をどう迎えていることだろうか。
本の書き込みを見ていると、書き込んだ人の思いや息遣いが伝わってくる。またほんの一端だけど、その人の人生を蘇らせてくれる。