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失われた半生をもう一度 ~今月のイラスト~

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 この十五年ほどのことは憶えていないのだから、積雪が早いか遅いかわからないのは当然、それを憶えていないことは自然に受け入れているようだ、だが冬にはたくさんの雪が降るということは憶えていた。
「そうだね、今年は雪が遅いみたいだ」
 和男は何と言っていいかわからずに、意味もなく繰り返した。
「あ……降り出した……」
 由紀が不意にしゃがみこんで雪を掌に受けた……そして……ぽつりぽつりと話し始めた。
「あのね、記憶がなくなっちゃったことに気が付いた時、すごくショックだった、あたしって誰なんだろうって思ったよ……今のあたしって体は二十歳でも頭の中はまだ子供なんだもん、友達とかと会っても誰だか思い出せなかったりするし、誰だかわかってもその友達と何をして来たか、どんな話をして来たか思い出せないの、あたしだけ十五年前に戻っちゃったみたいで……それってすごく悲しいし寂しかった……でもね、そんなことをお父さんやお母さんには言えないとも思ったの、あたしの事すごく心配してくれてるのわかってたから……だから一生懸命明るくふるまって来たの、悲しそうな顔は見せちゃいけないと感じたから……」
 やはり和男の心配は当たっていた、聡明な娘だからこそ記憶を失ったことに対するショックは強かったのだ。
 だが、由紀はそれを隠した……それは思いやりの心を失っていなかった証拠だが、それを一人で抱え込むのは重すぎる……和男にだから話せたことなのだろう。
「辛かったね……でも、僕には話して良いんだよ、僕は医者だからね、由紀は僕の患者でもあるんだから」
「うん……ありがとう……たまに電話しても良い?」
「もちろんいいよ、電話番号は知っているだろう? すぐには電話に出られないかもしれないけど必ずこっちからかけ直してあげるから」
「うん……」
 話しているうちに雪はだんだんと強く降るようになって辺りの景色をけぶらせ始め、 和男には由紀だけがその中に浮き上がってくるように見えた。
 それまで掌に落ちる雪を見つめるようにして話していた由紀だったが、ふと顔を上げると、そこには悲し気な色は浮かんでいなかった。
「あのね、あたし文学部だったんでしょう? 今も本は読んでるよ、難しい漢字がたくさん出て来ると読めないからまだ子供向けの本だけどね、きっとあたし作家になりたかったんだと思う、そう心に決めていた気がするの、だからもう一度その夢を追いかけようと思ってるの」
「そうか、作家なら年齢とかあんまり関係ないしね」
「うん、なんかね、ちゃんと作家になりたいって思って子供時代からやり直せるのって、もしかしたらラッキーだったのかもしれないって思うの、だってもう学校には行かなくていいし、受験勉強もしなくていいんだから時間はたっぷりあるんだものね」
 その言葉を聞いて和男は胸につかえていたものがすっと抜けて行くような心持がした。
 記憶を失ったことは辛いことには違いない、だが、由紀はそれを前向きにとらえようとしているのだから。
 おそらく大人になって行く過程で失われて行ってしまう感性はある、普通はその感性が失われて行くことに気が付かない、しかし、その感性を大事に守りながら知識や経験を積み重ねて行けたら……作家になると言うのは簡単なことではないと思う、だが二十歳の能力を持ちながら手垢のついていない子供の心を持っている由紀にならできるのではないかと思う。
「そうだね、由紀は頑張り屋さんだからきっとなれるよ、作家に、僕も応援するよ」
「うん、ありがとう」
 そう言って微笑んだ由紀……子供のように屈託のない、しかし二十歳の娘としての知性も湛えたその微笑みは、降りしきる雪のように白くきらきらと輝いて見えた。

(終)