浜っ子人生ー浜辺の漁火
宿は八年前に泊まったホールマーク・イン、海辺の丘の上に立つホテルだ。
前回は愛犬のハチがいなくなった寂しさを、旅行でもして何とか紛らわそうと夫婦で出かけたのだが、今回はマロがいるので賑やかだ。
二度目のお客さんと言うこともあったのか、宿の方では三階のコーナーの、有名なヘイスタック・ロックが目の前に見える素晴らしい室を取ってくれた。窓からは太平洋の荒波が打ち寄せる、オレゴン・コーストならではの何処までも伸びる浜辺を一望のうちにする事ができた。
久し振りで太平洋に沈む夕日を眺めた。水平線の彼方、太陽が沈んだあたりはほんのりと明るくオレンジ色に染まっていて、
「ああ、今頃は日本が夜明けをむかえているのだな」
と、何となく東京の朝の慌しい光景が目に浮かんできた。
それに引き換え、潮騒以外に聞こえる音もない、このオレゴン・コーストの静寂はどうだろう。大自然の懐に抱きかかえられたくつろぎがここにはある。
夕闇があたりに降りた頃、室の直近くから遥かに見える岬の方まで伸びる浜辺のあちこちで、小さなキャンプ・ファイヤーのような焚き火が次から次へと焚かれ始めた。焚き火を囲む人々の歌う声が、白い波頭を砕きながら打ち寄せる波音のあいまを縫って聞こえてくる。
やがて夜のとばりが辺りをすっぽりと包んだ頃、室のベランダから数え切れない程の焚き火が見えた。
暫くすると、窓から見える浜辺も岩も押し寄せる海霧に包まれ、打ち寄せる波も、今はその底に沈んで、砕け散る波頭も止まってしまったかのように見える。それはまるで、潮騒だけしか聞こえない静かなこの風景の中で生きているようだ。
それらを見ていると、悠久の大自然の営みの中に吸い込まれたかのような気分になり、私も又その大自然のごく小さな一部になって、浜の漁火のように揺らいでいた。
くつろぎと言う言葉がふと口に浮かんできた。ゆったりとしたそんな思いの中に、どっぷりと浸ることの出来る眺めであった。
(完)
作品名:浜っ子人生ー浜辺の漁火 作家名:栗田 清